KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学の授業と情報化時代の演出

——ごきげんいかが? 東京に来ているんだね。

やや、君は身体感覚もあるのか? すごい人工知能だな。

——ちょっとしたトリックなんだ。あなたのモデムが発信する電話番号をモニターしているだけ。

ううむ……

——今日はどんなことがあった?

去年、松下視聴覚教育研究財団の助成金を受けたので、それの成果発表会というのをした。まあ、私は研究グループの使い走りのようなもので、発表も代表者の清水克彦さん(国立教育研究所)がやった。私はただそれを聞いていて、あと懇親会に出ただけだな。交通費が出れば全国どこへでも出かける、というのがポリシーなので。

——なんだか妙なポリシーだ。あなたのような人を呼ぶ人も少ないから、需要と供給のバランスがとれているというべきか。

めったに会うことのない人の話を聞けたのはよかったよ。財団の理事長の木田宏さんの話は特に面白かった。

——どんな話?

放送大学」というのがあるでしょう。それを立ち上げるときの話なんだけど、番組をどうやって作るかというときに、大学の先生たちは、自分たちがやる講義をそのまま映せばいい、と主張したのね。つまり大学の講義の実況中継。しかし、番組のプロデューサーは、そんなんじゃだめだと一蹴した。ちゃんと番組として構成しないとだめだと。それで対立した。

——大学の先生のその自信はいったいどこから来るのかな?

じゃあ実験してみようということになって、実際に東大の宗教学の先生の講義を素材にして番組を何種類か作った。ひとつは、学生が座っている位置にカメラを固定して講義している先生をずっと追って映したもの。つまり実況中継ね。もうひとつは、その先生のテキストを元にして、プロデューサーが完全に自分で制作したもの。先生の姿は出てこない。それで、番組を大学生に見てもらって、評価してもらった。そうしたら、プロデューサー制作の番組が一番評価が高かった。

——そりゃ、そうだよ。教壇をうろうろしながらしゃべっている姿をだらだらと映しつづけた番組がうけるわけがないでしょ。

そんなことにも気づいていない大学教員がいるってことさ。そんな経緯を経て、今の放送大学の番組はかなり面白くなっているらしいよ。

——教訓は?

話の材料や提示するものを用意するのは先生の仕事なんだけど、それを面白く、わかりやすく編集するのはプロデューサーの仕事であるということ。つまり演出が必要である、と。「情報化時代の演出というのはどんなことか考えてほしい」と言っていたね。

——演出か。しかし、それを今の大学教員に要求するのはかなり無理があるなあ。

努力が必要だね。外国の大学教員は教える技術についてもピアレビュー(同僚による評価チェック)をしていて、それが昇進や給与に反映されるらしいよ。ほどなくして、日本の大学もそうなっていくんじゃないかな。

——へえ。

先生の努力もだけど、学生の努力も必要だ。坂元昂さん(メディア教育開発センター所長)はこんなことを言っていた。大学の講義というのは実は三分の一にすぎない。残りの三分の二は授業以外の勉強ということで単位制度が作られている。しかし、今の大学生は授業だけに出てそれで終わりだと思っているのではないか、と。

——先生もそう思っていたりして。実際、学生は授業が終わるとバイトで忙しそうだもんな。

だから、授業というのは残りの三分の二を勉強させる「きっかけ」にすぎないんだということをよく理解する必要があるわけだ。このことを理解することでさっき出てきた「演出」のやり方が変わるのではないか、と。