KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

国立大付属校の選抜

 件の文京区での殺人事件だが、まったくお気の毒と言うしかない。

 ここに書き留めておきたいことは、事件の本質とは関係がないだろう。ちょっとだけ気になったことだ。

 ニュースが国立大付属校の選抜(いわゆる「お受験」)を背景にしているのではないかと伝えているのを聞いてはじめに思ったのは、「やはり、自分の子供が落ちて、他人の子供が受かったのを目の当たりしたら妬みの感情も出てくるだろうな」ということだ。

 しかし、ニュースを詳しく読んでみると、加害者の子供は一次選抜の抽選で落ちたというではないか。二次試験がどういうものであるかは知らないが、二次試験まで進んで、それで明暗が分かれたというのであれば、妬みの感情が生まれても仕方はなかろう。しかし、抽選で落ちたというのであれば、自分のアンラッキーを嘆くより仕方ないではないか。それは偶然の産物だ。恨むのなら天を恨むべきだった。

 しかし、である。ニュースをさらに読むと、加害者の長男と、被害者の兄は同じ国立大付属小学校を受験していて、こちらもまた加害者の子供は抽選で落選し、被害者の兄は通過したという。ううむ、これは。

 一次の抽選の倍率がどれくらいなのか正確には知らないが、仮に20倍だったとすれば(追記参照)、二人の子供が共に受かる確率は、1/20の2乗で400分の1である。一方、共に落ちる確率は、19/20の2乗で約0.9である。つまり90%の確率で二人とも落ちる。これはよくある出来事であり、自分の運のなさを嘆くには値しない。二人ともに抽選に受かったという出来事が運が良すぎたと見るべきだったのだ。しかし、私にはこの1/400がどうも気になるのだ。そのことだけを書き留めておこう。

(99/11/29の追記):朝日新聞によると、一次抽選への志願者は551人で、それに対して二次に進めるのは70人とのこと。したがって一次の倍率は7.87倍となる。小学校も8倍程度だったとすれば、二人共に受かる確率は1/64(1.5%)程度。

 国立大学の付属校の本来の目的は教育研究のためのものである(だからこそ主に抽選を選抜の方法としている)。しかし、その目的から外れてエリートの養成機関や進学校になっているのではないかという批判はこの事件以前からずっとあるということ。これは事実として。