- 作者: 村田喜代子
- 出版社/メーカー: 葦書房
- 発売日: 2000/07
- メディア: 単行本
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村田喜代子『名文を書かない文章講座』(葦書房、2000、2000円)を読んだ。平成10年に朝日新聞西部版に連載されたものを本にまとめたもの。毎回が読みきりになっていて読みやすい。
内容は普通の人がエッセイを書くための基本とコツと実例によるコメント。スタイルは小説寄りで、私の向いている方向とは少し違う気もする。しかし、参考になる部分もたくさんあったので、その中からいくつかメモしておこう。
タイトルも文章である
タイトルは中身の紹介ではない。またエッセイのタイトルは新聞の見出しと同じようなものでもない。中身は読まねばわからない、その誘い文句がタイトルなのである。//普通、私たちは何か文章を読むとき、タイトルを真っ先に読んで、それから本文へと移る。だが、本文を読み終えたところで、もう一度読後感とともにタイトルを見直すものである。つまりタイトルは最後の一行を読みおえたあとに来る、本当の最後の一行といえる。
タイトルがあまり「誘い」すぎると、「あざとい」ものになってしまう。かといって直球勝負ばかりのタイトルも芸がないということか。私の場合は仮のタイトルを付けておいて、最後に文章の中からタイトルになりそうなものを探すことが多い。それは文章の終わりの方のことが多いので、「タイトルは最後の一行」というのはなるほどと思う。
エッセイにも嘘がいる
エッセイを書くときに忘れてならないのは取り上げる人々への配慮である。エッセイに取り上げることがらはすべて事実である必要はない。そうでなければ周囲の人々にとって、じつにはた迷惑なことである。エッセイを書こうとする人は、配慮のために嘘をつくことを辞さないでほしい。//自分のペンが周囲に迷惑を及ぼさないためには、ときに男性の知人を女性に、女性の知人を男性に書き換えるくらいの嘘は用意しておくべきである。
事実を書くということが前提の日記だが、それを公開するWeb日記となれば、これくらいの配慮が必要かもしれない、と感じている。それは必要な嘘である。きまじめな人は、日記に嘘を書くなんて嫌だ、と思うかもしれないが、それは読者によけいな詮索をさせないためにも必要なのだ。自分だけがわかっていればいい、ということはけっこうたくさんあるものだ。すべてを書く必要はないし、事実だけを書かねばならないということもない。著者はそれを「事実と真実」という対比で説明している。事実を隠して、真実を伝えるということだ。日記は事実だけを並べればいいというものでもない。その先にある真実をどう伝えるかということだ。それはWeb日記が「読まれるもの」である限り考慮しなくてはいけない。
よい文章とは、
- 自分にしか書けないことを
- だれが読んでもわかるように書く
よくない文章とは、
- だれでも書けることを
- 自分だけにしかわからないように書く
覚えておこう。