KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

映画「インビジブル」

映画「インビジブル」を見る。「スペース・カウボーイ」とどちらを見ようかと迷ったが、たまたま上映時刻の近い「インビジブル」になった。透明人間のお話だ。面白かった。

以下、まだこの映画を見ていない人は読まない方がいいかもしれない。

面白かったことは確かなんだけれども、後味の悪い映画でもある。自分の姿が他人から見えなくなったときに人はどんな振る舞いを始めるかということが、グロテスクに描かれている。姿が見えなくなっても、同じ肉体と優秀な頭脳を持っているはずなのに、研究者仲間からだんだんと軽く扱われていってしまう過程。それに対して本人が耐えられなくなって暴走する過程。

それを、匿名コミュニケーションや無言電話などの心理に当てはめようとするのはうがちすぎだろうか。でも、すくなくとも、他人の視線とそれによって「見られること」が実は大きな意味を持っているのだということは、この映画から読みとってもいいだろう。見られるということがなければ、暴走するということ。

でも以上のことは、映画を見終わってからあれこれ考えたことだ。映画を見ている間は、「なんで飲み食いしたものが透明になるのだろうか。少なくとも胃袋に届くあたりまでは見えているはずだが…」などということが気になっていた。興ざめなことである。