KogoLab Research & Review

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J.ヘイリー『戦略的心理療法――ミルトン・エリクソン心理療法のエッセンス』

戦略的心理療法―ミルトン・エリクソン心理療法のエッセンス (精神医学選書)

戦略的心理療法―ミルトン・エリクソン心理療法のエッセンス (精神医学選書)

J.ヘイリー『戦略的心理療法――ミルトン・エリクソン心理療法のエッセンス』(黎明書房)を読んでいる。この本は密度が濃い。すらすらと読めない。何度も前に戻って読み返したりして、まだ3分の1しか進んでいない。

MRI短期療法から入門して、その源流にさかのぼったわけだが、なんだかまったく違うものを読んでいるような気持ちすらしている。この段階でこの本について、何かメモしてもまったく的はずれになってしまう可能性はあるけれども、少しメモしておきたい。

この本は心理療法(つまりクライエントとセラピストのコミュニケーション)を扱っているわけだが、私はどうしても、つい、教える人と学ぶ人のコミュニケーションに置き換えて読んでしまう。

「あなたに自発的に反応することを指示する」という場合にも、パラドックスが与えられている。なぜなら「自発的に」指示に従うことはできないからである。

教育現場においてはこの種のパラドックスがよく見られる。たとえば、「自主的に活動する子どもを育てる」とか「個性を育てる」あるいは「皆さんの自発的な意見を期待します(言いなさい)」など。もし、学習者が指示に従えば、自主的でも自発的でも個性でもなくなる。従わなければ、教育(教師)の失敗になる。したがって、教師には、負けが約束されている目標なのである。セラピストの場合は、パラドックスをクライエントに与えることによって、いずれにしてもセラピストが勝つ結果になるのと対照的だ。

今の教育がもしうまくいっていないとしたら、こんなところに原因があるのかなあ、などと思いめぐらす。

非指示的心理療法家は何かをせよ、と患者に指示を与えることは依存性を高めることになる、と主張するが指示的心理療法からみると、この状況は子どもが母からもっといろいろ指示を得ようとしているのに母が子どもが依存的になるのを避けようとしている母子関係に非常によく似ている。母が子どもの手をふり切ろうとすればするほど子どもはより依存的になり、よけい要求がましくなるが、このようなことが心理療法にもよくある。

これは、指示を与えないことがかえって相手を依存的にさせるという可能性を示唆している。

「皆さんは自発的にやりなさい。私は手出しをしませんから」という「指示」は、パラドックスであるがゆえに、その指示者に負けを約束する。さらには、それ以降の指示を出さないことによって、学習者をより依存的にするという可能性を強める。そして、当初の目的とまったく反対の方向に進んでしまうのだ。