KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「すみませんね、なんだか私だけが発言して」

東京での仕事の一つは、あるプロジェクトの会議だった。

この会議、出席者は十数人いたのだが、発言の回数と時間を見ると面白い。たくさん話す人が2人、時々話す人が3、4人、で、残りの人はほとんど話さない。私なんかは、3時間の会議で発言したのは、たったの2回で、しかも「何かありませんか」とうながされてのこと。これで、富山からの旅費をいただくのは本当に申し訳ない(けどありがたい)という感じだ。

パレトの法則が見事に成立している。つまり、全体の2割の人が、全体の8割の時間、しゃべっている。

誰かしゃべってくれる人がいると、安心してしまうんだろうな。聴いている方は、しゃべることよりも楽なのでその役割に安住し、一方、しゃべる人は、一度勢いがつくと慣性に従ってしゃべる回数が増えていく。

「すみませんね、なんだか私だけが発言して」といいつつ、しゃべり続けるのが面白い。本当にそう思うのなら、少しの間黙ってみれば良さそうなものだが、けっしてそうはしないのだ。「私ばかりしゃべって、すみません」というセリフは、ひとつのダブルバインドで、「ごめんね、でもあんたらにはしゃべらせないもんね」ということなのだろう。もちろん本人はそんなことは意識していない(だからいやな感じがする)。

よく大学のゼミなどで、学生が発言しないということが言われる。私のゼミも例外ではない。これも同じことなのかもしれない。

ひとつの改善策は、役割を任命し、それを時間で変更していくことだ。全員が同じ立場で参加すると、パレトの法則に従いやすい。そこで、あらかじめ指定討論者を指名しておき、それ以外の人はしゃべってはいけないルールにする。しゃべってはいけないと言われると、不思議なことに、しゃべりたいことが次々と思い浮かんでくるものだ。そこで、決めた時間が来たら、指定討論者を変更する。今度は別の人がしゃべる番である。