KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ウェブログ

日本でいう「ウェブ日記」は、アメリカでは「ウェブログ」と呼ぶらしい。Hotwiredの「正統派ジャーナリズムが「ウェブログ」を認知?」という記事で次のように書かれている。

(ごく簡単に言ってしまえば、ウェブログとは、コンスタントに更新される日記とリンク集のことだ)

バークレー校のウェブログ講座は、大きな流れの中で出てきた最も新しい1つの動きと言えよう。すなわち、正統派ジャーナリズムにとって騒々しいだけの邪魔者扱いだったウェブログに、既成の大メディアが興味を示しはじめてきているのだ。

ウェブログの書き方を学校で教えるのか。そうなんだ、と思って関連記事をクリックしてみると、「ウェブ上で日記を公開する『ウェブログ』の可能性」という記事も見つかった。

サイトで日記を公開するという行動は目新しいものではない。流行しはじめたのは、ドットコム景気にかげりが出はじめるかなり以前に遡る。ウェブログのサイトを立ち上げる人の数は増える一方で、中にはドットコム企業のサイトを上回るトラフィックを集めるところも出ている。

リナベリー氏とスコーフィールド氏は、ウェブログに愛情を抱いているという立場は明確にしている。だが、アンチ=ブロギーズ賞は「ウェブログ全体を揶揄する」彼らなりの方法なのだと、リナベリー氏は語る。「うんざりさせられるのは、『今日はチーズサンドを食べた』などといったことを書くウェブログだ。ろくでもないウェブログで、いちばんよく見るタイプだ。たまらないね。誰が何を食べようと……読んで面白いわけがない。車がパンクしたなんて話を書かないでくれ。書いているものが退屈なら、普通、話を聞いてもどうしようもないほど退屈に決まっている」

こういうのを読んでみると、ウェブログは日本のウェブ日記というよりも読んでおもしろいものを狙っているようだ。「チーズサンドを食べた」というウェブログは「ろくでもない」と評されているわけだから。読み進めてみると、こんな記述も。

ウェブログの大半がくずだとしたらどうしたらいいのだろう? 皆が全部を読む必要はないのが救いだと、ウィリアムズ氏は言う。文字通り1人残らずウェブログを書く世界に住みたいかと質問されて、ウィリアムズ氏は苦笑いをして答えた。「ええ、そうなれば素晴らしいと思う。もちろん、だからといって読みたいわけではない。だが、人には自分を表現したいという欲求があり、これは非常に強い行動力の源だ。毎日書き続ければ、文章は上達するし、思考力も向上する」

もうその萌芽は見えていると、マホーニー氏は電子メールで書き、とくに『Fトレイン・コム』という魅力的なウェブログを例に挙げながら、次のように評している。「練り上げた文章が中心になったウェブログもいくらか出てきている---構成のしっかりしたエッセイや、実験的な語り口、豊かな物語性などを持ったものだ。単なる日常や思いつきの批評を中心とする多くのウェブログとは全く対照的だ」

アメリカのウェブログと日本のウェブ日記。生まれてきた事情は違うようだが、共通点も多そうだ。そう考えると、数年前にウェブ日記の書き方の授業をしたことは、先駆的ではあった。あとでその授業は失敗だったと反省して、今はやっていないけれども。