KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

全体として目的論

「臨床の知・統計の知・教育の知」というシンポジウムを聞く。話題がでかいのでとらえどころがないが、部分的に参考になることはあった。

南風原朝和さん:階層的線型モデル(HLM)はBBS討論の分析なんかに使えそうだ。個人内の変化、個人レベルの変化、集団レベルの変化を各レベルごとに見ると同時にレベル間の交互作用を考慮する方法。

子安増生さんの問題意識はかなり共有できる。教育の研究で査読者から「よりよい方法がわかっているのに、統制群を設けるのは倫理的に問題がある」とけちを付けられたそうだ。それに対する反論。実験群が常に良いとは限らない。もし良い方法だけが教育現場で許されるとしたら、教育は常に縮小再生産の道をたどるしかなくなる。というのだが、わかってもらえるだろうか。

下山晴彦さん:臨床ではケースフォーミュレーションという方法論がある。証拠から仮説を立て、仮説から介入をし、その効果を評価する、というものだ。教育も同じだろう、と。

指定討論で出てきたのは、戸田山和久さん。あの『論文の教室』の著者。こんなところでお目にかかれるとは。

彼はまず「心理学者は古い科学のモデルにこだわっておられるようですね」と挑発する。こういうことだ。古い科学のモデルでは、主張を正当化するのが方法だった。じゃあ、その方法を正当化するのは何かという話になると無限後退してしまう。そこで今の科学のモデルは、3項のバランスなのだ。その3項とは、「知識・方法・目的」だ。目的に照らして、その方法や知識が有効なのかどうかを査定するわけだ。

これはガーゲンも言っていることだな。よく考えると、今の科学は「全体として目的論」なのかもしれないよ、これは。でもこれも考え直すとごく自然なことだ。目的というのは舵のようなものであって、それがなければ、方法というエンジンがあっても無軌道になってしまうということだ。そこを人類は反省してきたのでしょう?

全体として、感じたことは、「法則定立・個性記述」の話やガーゲンの話も出てきて、私が教育工学会論文誌にレビューした方向性はそこそこ当たっているようだ。そこで引用した川喜田二郎さんも、質的心理学会に登場したらしい。KJ法は偉大ですよ。

シンポジウムで質問はでなかったのだが、やまだようこさんが指名されてコメントした。「私は個性記述的な方法論を採っていますが、一般化することを捨てているわけではないですから」と表明。へえ、そうなんだ。