KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

養老孟司『人間科学』

人間科学

人間科学

現代人は多くのことを知っていると思っている。それこそ万巻の書があり、ありとあらゆることが論じられているように思われるからである。ではわれわれは自分についてなにを知っているのか。それを考えてみたい。それが「人間科学」の基本である。

物理学者なら、この世界は素粒子の集合だというかもしれない。しかし私にとっては、それはなによりまず人間の集合である。物理学は人間による世界観の一つであり、人間を消してしまえば、素粒子がどうであろうと、関係はない。

こうして、ヒトは二種類の情報世界を生きている。一つは脳とその情報の世界あるいは意識的な世界であり、もう一つは細胞と遺伝子の世界、つまりほぼ完全に無意識の世界である。換言すれば、脳の世界はいわゆる心や精神、社会や文化の世界であり、細胞と遺伝子の世界は身体の世界である。そう思えば、情報という新しそうに見える概念から見ても、伝統的な見方で見ても、ヒトの世界が心身にほぼ二分されることは同じである。

生きているシステムを本気で作ろうとするのは、いまでは工学の人たち、それもロボットやコンピュータの専門家であろう。そういう人たちに、論文が書けないでしょうというと、そうだと答える。……ロボット研究者であれば、論文の代わりに、自分が作ったロボットを持ち出すほかはないであろう。そうなれば、自然科学の世界はほとんど美術の世界に似てくる。ただ作品だけが、ものをいうからである。

DNAはたしかに物質である。それが情報として機能するのは、すでに述べたように、細胞がその翻訳機構を備えているからである。脳もまた、それと類比的である。脳のなかで生じていることは、たしかに物質的事象であるが、そうした物質的事象が情報を扱うように機能しても、少しも不思議ではない。なぜなら単一の分子であるDNAですら、細胞という「生きたシステム」のなかに置かれれば、情報として機能するからである。

やはり現代人は「情報は変わるが、俺は俺だから変わらない」と思っているらしい。情報化社会とはコンピュータやITのことだと信じているのであろう。社会は脳が作るものであり、ゆえにそれは人々の考え方を規定する。コンピュータという機械が社会を規定しているのではない。

都会すなわち文明社会では、すべてが「ああすれば、こうなる」という原則で動く。……それなら古典的な農業はどうか。宮沢賢治のいうように「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」である。東北で冷害にあえば、オロオロ歩くしか手がない。それはまさに「仕方がない」。しかし、と現代人はいう。「仕方がない」が通用する世界は、つまり「遅れた」世界である、と。

こうした都市は、むろんそれ自体では生きられない。かならず物流の源と、エネルギーの源を必要とする。その「源」が都市に対するものとして「田舎」である。こうした目で見れば、第二次世界大戦後の日本の歴史は、一直線の都市化の歴史である。全土がほぼ都市となり、田舎が消えた。ひとつにはそれは、日本の田舎が物資とエネルギーの源ではなくなったからであろう。原料は外国からくる。世界のさまざまな地方が、いまでは「日本の田舎」になった。

こうして田んぼ里山を成立させた思考、そういうものがあるとすれば、それこそが「日本の思想」であろう。それを私は「手入れの思想」と呼ぶ。手入れとは、自然のものに「手を入れて」、できる限り自分の都合のよいほうに導こうとする作業である。

現代人は一般に自己をそれ自身で確定したものと見なしている。それはそう見なしているだけだということを論じてきた。自分がいかなるものであるかを、いかに自分で確定したところで、他人がそう見るという保証はない。そうかといって、それを社会的に確定する試みは、すでに封建制度でなされてきた。それがさまざまなべつな難点を持つことは、いまさら指摘するまでもない。したがって現代になって、しばしば自己の問題が浮上するのは当然である。

日本の大学はむしろ共同体である。だからそこに「帰属する」ことが重要なのである。たとえば私は還暦を過ぎたこの歳になっても、略歴に卒業大学と卒業年度を書く。それが意味していることは、ある意味でまだ私は大学を「卒業していない」ということである。これがいわゆる学歴社会の実質的意味である。大学という共同体にいったん加入すれば、どうせ死ぬまで出られない。だから卒業は日本ではやさしい。ところが入学はきわめて難しい。それは共同体の加入資格がうるさいからである。

シンボルの恣意性から、シンボルが異なると、ヒト集団が分離する理由がわかる。国家は異なる国旗のもとに国民を糾合する。だから国の数だけ国旗がある。学者はそれぞれの専門分野の術語を共有する。それがある学問分野を作る。しかもそれを共有しない個体は、その集団から排除される。