- 作者: ルドルフドライカース,Rudolf Dreikurs,宮野栄
- 出版社/メーカー: 一光社
- 発売日: 1996/04
- メディア: 単行本
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アメリカではアドラー心理学の最も権威のある教科書とされている本の邦訳です。分厚い本ではありませんが、それだけに「ひっくり返った玩具箱」のようなアドラー心理学のすばらしいアイデアを、整理された形で提示しています。これだけの厚さの本の中に、多岐に渡って人間の新しい見方を提供し、しかもそれを統合しているということに驚きます。
人々は常に、自分の成功や失敗について全く間違った結論に達します。しばしば人は、自分が為したすべての価値あるものを軽視し、全くつまらない失敗を重大視します。結局、すべての失敗は劣等感の原因であるというよりは、むしろそのような感情の必然的な結果なのだということがわかります。自分自身を低く見積もれば、その分だけ確実に人は失敗に出会うのです。
時々、小学生でさえ神経衰弱になることがあります。試験を受ける直前に、緊張しすぎて眠ることができず、精神が混乱し、震えの発作を起こしたりして、神経衰弱症として知られているあらゆる症状を起こします。おとなになったずっと後まで、学校の試験の夢を見続ける人がたくさんいます。学校において、彼らの能力が試験によって試されたのとちょうど同じように、その後もずっと人生や社会によっていつも能力が試されていると彼らは信じています。しかし、実際に試されているのは、私たちの共同体感覚と、協力するための準備が私たちにできているかどうかということだけなのです。自分が目立つために協力する人や、目立たないことはしたくないという人だけが、失敗や悪評の可能性に過度に怯えるのです。
欠点を静かに観察するというこの能力は、最終的に選択された教育方法に全く異なった価値を与えます。その教育方法は、確かに十分に考慮されたものでしょうし、子どもとの個人的な威信を求めての争いに決して親を巻き込まないでしょう。子どもに自分の行為の間違いをわからせるには、しばしば、簡潔な説明、または親しみのある話し合いで十分です。もちろん、そのような話し合いは、子どもが間違いをした直後になされる(不幸にも、よくあることなのですが)べきではなく、散歩しているときによくあるような、静かで親しみのある関係であることが感じられるようなときにされなければなりません。