KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

レッスンでは「こんなふうに球を打ってもいいんだよ。どう?」ということを常にチャレンジされているような気がする。

近くのテニススクールにはいったのが2004年12月だったので、

丸十年を超えたことになる。その間に、足の肉離れは3回、テニス肘は2回やったかな。でも最近はケガもなく、楽しんでテニスができるようになった。

今は、90分レッスンを週一回のペースで受けている。それ以外ではテニス仲間で公営のコートでゲームをやったりしている。その仲間は、私のようにスクールには入っている人もいれば、はいっていない人もいる。スクールに入っていようが、いまいが、それにかかわらず、みんなそこそこ打てるので、ゲームは楽しくできる。

そんな中で、テニススクールでレッスンを受けることの意味について考えたりする。それは、自分の可能性を拡張することにあるんじゃないだろうか。こういうと大げさだけれども、レッスンでは「こんなふうに球を打ってもいいんだよ。どう?」ということを常にチャレンジされているような気がする。

そういうレッスンがなければ、相変わらず自分の一番ラクな決まり切った打ち方でしか打たないのだ。で、それは、慣れるけれども、上達しないということだ。

新しい打ち方を試してみようとすれば、当然のことながら、最初はうまくいかない。これまでやってきていないことだから、当たり前のことだ。自分の無力感にうちひしがれながら、新しい打ち方を練習する。そうすればいつの間にかできるようになる。それは自分を拡張したということなんだ。

いままでやったことのないことにチャレンジして、無力感を味わいながら、自分の技能を拡張していく。学校を含めて、何かを教える場所というのはそういうものなのかもしれない。

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