KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

学ぶこととそれをすることは一体

2020年10月28日(水)

ハロー、ウエンズデイ。向後です。

学ぶことって大切だと誰もが言いますが、学ぶだけというのはありませんよね。

『学校のない社会への招待―“教育”という“制度”から自由になるために』という本でこんなことを言っています。

「私は最近チェロを弾き始めた。チェロが好きで、いつかうまく弾けるようにと決意し、日に何時間も練習している。人は私がしていることを『チェロを弾くことを学んでいる』というだろう。しかしこの表現はわれわれの観念に、私がしていることには、一、チェロを弾くことを学んでいる、二、チェロを弾いている、という二つの別々の過程が存在するかのような奇妙な考えをもたらす。(中略)もちろん、これはナンセンスである。二つの過程があるのではなく、過程は一つしかない。われわれはある何事かを行うことによって学ぶのである。他に学ぶ方法はない」

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つまり、何かを学ぶこととそれをすることは1つのことで、分離しようがないということです。
もし、何かを学ぶことが独立してあったとすれば、それは何かおかしいということです。

じゃあ、人から何かを聞いて、それを学ぶというのはどうでしょう。
インターネットで何かを読んで、それを学ぶというのは。
あるいは授業で何かを学ぶというのは。

それで、「うーむ、なるほどね」と納得して、取り立てて何かをしないで終わったなら?
それは何かを学んだということになるのでしょうか。
もしかすると、それは「何かを学んだ感じ」がしているだけかもしれません。

それも1つの娯楽=エンタテイメントとして捉えればいいかもしれません。
しかし、学ぶこととそれをすることは一体だと考えれば、学んだとは言えないでしょう。
何もしていないのですから。

では良い一日を!

…………
ちはる塾メールマガジン(発行者:向後千春)

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