KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

雑談は「計画された偶発性」

2021年10月30日(土)

10月中旬の函館に続き、札幌に出張に行ってきました。飛行機も電車もバスも人が戻っていますね。特に、飛行機は劇的で、行きも帰りもほぼ満席でした。また、いままで全面運休だった、所沢〜羽田空港のリムジンバスも復活しました。コロナの感染者数が低く抑えられているこの状況が少しでも長く続くことを願っています。

出張の目的は研究の打ち合わせがメインです。打ち合わせはZoomでもできることは確認済みですけれども、対面で会う機会はそれ以上の価値を生み出しています。それは通常は価値として測ることのできない、とりとめのない雑談なのですね。そうした雑談からいろいろなアイデアが生まれてくるわけです。

キャリア理論に「Planned happenstance 計画された偶発性」(クランボルツ)というモデルがあります。人がどんなキャリアをたどるかは、たとえその人がこうなりたいと思っていても、偶然に与えられた環境や条件に左右されて決められます。その条件下でそれをチャンスとして生かしていくことが決め手になるということです。

これは、アルフレッド・アドラーが「何が与えられてるかではなくて、与えられたものをどう使うかが重要だ」と言っていることに対応するような気がします。そもそも、この私がこの時代のこの社会に生まれてきたことが完全な偶然なのです。

話が逸れました。雑談をするという行為自体が「計画された偶発性」なのかなと思ったわけです。雑談の内容をあらかじめ決めることはありません。たまたま最近考えたことや読んだり、見たり、聞いたりしたことをぶつけ合ううちに、何かスパークするものが雑談参加者の目の前に出てきたりするわけです。それを、優しく捕まえて、何かを生み出すきっかけにするのです。

そんな偶然が起こるためには、少なくとも雑談するための時間は計画されなくてはなりません。