KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

【ブログ】自分がどう見えるかは自分にはわからない:自己肯定感の幻想

2022年11月21日(月)

ときどき、自分のテニスのゲームをビデオに撮っています。実際に自分がどのようにボールを打っているかということは、自分ではリアルタイムに観察することができないので、ビデオに撮ったものをあとで見てみようというわけです。

で、それを見てみると、これが見事といっていいほど、自分のイメージとはかけ離れているのですね。自分の頭の中では「こんなふうに打っている」というイメージが確実にあるわけですけど、そのイメージとは似ても似つかないフォームで打っている「もうひとりの自分」がそこに映っているわけです。

でもこれは話が逆であって、ビデオに写っている自分が「本当の自分=事実としての自分」なのです。そして「自分についてのイメージ」つまり「自分はこうしているつもり」と考えているものは幻想にすぎないのです。

でも自分のイメージのすべてが幻想であるというのはいいすぎです。「自分の理想のイメージ」つまり「こうなりたい自分」については常に正しいといえます。

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アドラー心理学では、「理想の自分」と「現実の自分」とのギャップが劣等感を生み出し、それが成長のエネルギーになると考えます。しかし、実は「現実の自分」が実際のところどれほどのものであるかは、自分では正確に捉えられないと考えるのが自然です。正確に捉えるためには、自分のテニスをビデオに撮ってみるようなことをしなければなりません。

普通はそんなことはしませんので、自分の姿を知るために他人の評価や評判を聞いたりするわけです。しかし、それは他人の勝手なバイアスのかかりまくった評価ですので、まったくあてになりません。

万歩計のような活動メーターは、自分を知るための努力のひとつとして考えられるかもしれません。

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こんなふうに考えてくると、自分の強いところや良いところを見つけて「自己肯定感」を高めましょう、ということが嘘くさいということがわかります。実際の自分がどれほどのものかわからないところで、自己を肯定しようにもできないはずなのです。

そして、一気に結論に飛んでしまうなら、自己肯定感を得ようとするならば、自分をしみじみと観察するのではなく(それは幻想にすぎないのだから)、なんでもできることを実行するしかないということです。