KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ダブルスという楽しみと分離不可能性

 テニスでもバドミントンでも、シングルスとダブルスという試合形式がある。この二つの形式はまったくといっていいほど違うものだ。いや、ここでは試合のやり方とかそういう違いのことを話題にしたいのではなく、シングルスとダブルスをやっているときの心理が違うということだ。

 シングルスは文字通り一対一の勝負であるから、勝ち負けは、つまり自分自身の勝ち負けということであり、だれか別の人に原因を求めることはできない(もしコーチがいれば少しはその原因もあるかもしれないが、ここでは考えない)。

 しかし、ダブルスでは面白い心理が働く。ある人は、成功すれば自分のおかげだと考え、失敗したときはパートナーのせいだと考える。実に傲慢な人である。また別の人は、逆に、失敗したときは自分のせいだと思い、成功したときはパートナーのおかげだと考える。実に控えめな人である。心理学にP-Fスタディというテストがあるが、その分類でいえば前者は他罰傾向が強く、後者は自罰傾向が強いということになるだろう。

 またこういう人もいる。勝ったときも負けたときも自分のせいだと考える人。自己中心派だね。逆に、勝ったときも負けたときもパートナーのせいだと考える人。うーん、こういう人は何と呼ぶべきか。自分のない人か。

 まあこんなふうにいろいろに考えられるわけだけれども、勝ったときでも負けたときでも本人とパートナーのどちらが原因と決められるものではない。本人がすばらしいスマッシュを決めたとしてもその前に浮いた球を相手に打たせたパートナーのプレーがあるわけだから本人だけがすばらしいわけではない。また、本人がミスをしたとしてもその前に厳しい球を相手に打たせたパートナーのプレーがあるわけだから、本人だけが悪いわけではない。つまり、一人と一人が組んでダブルスをやるわけだが、いったんダブルスを組むと分離して考えることはできないということなのだ。

 で一体何が言いたいのかというと。

 ダブルス、つまり二人が組んでいろいろなことをするというのは共同作業の基本形なので、人生のいろいろな場面で現れてくる。たとえば、仲の良い親友とか、師匠と弟子とか、一緒に仕事をする同僚とか、結婚して一緒に生活するカップルとか。そしていろいろなトラブルもあるいは幸せもそこから生まれてくるわけだけれども、うまくいってもいかなくても、どちらのせいということはなくて、その原因は分離して考えることができないということなのだ。当たり前のことだが、そのことを忘れがちだ。