KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

意志決定の速さは能力の高さ

 「富山大学にもマクドナルドやスガキヤができればいいのに」と書いたら、なんと「ロッテリア」が明日から学内で開店することを知る。スガキヤはまだのようだが、ロッテリアである。これは画期的なことだ。なぜマクドナルドではなかったのか、よくわからない。しかし、びっくりした。何でも書いてみるものだ(←日記に書いたから実現したわけではない)。

 でも、こんなことでびっくりしてはいけないのかもしれない。大学はどんどん変わっていくのだ。

 人間城の主な日々(00/04/07)から名古屋大学が大学教育についての工夫(tips)集をWebで提供していることを知る。これはすばらしい。Web教材としてもよくできている。デザインもきれい。お手本にしたい。

 中心的な国立大学で〔高等/大学〕教育についての研究センターが次々とできている。Faculty Development(教員の開発)という用語も一般的に使われるようになってきた。これからしばらくは、大学教員の教育技能をどう訓練・開発していくかということに力が注がれるだろう。

 予測すれば、それから少し遅れて、大学研究者の研究技能をどう訓練していくかということにも注意が払われるようになるだろう。「研究技能なんてのは盗み取るものだ」という立場から、多様な研究領域に共通の「研究するという技能」の開発をしていこうという立場に移るに違いない。

 教育技能の開発と研究技能の開発との二つのラインが揃って(あと、大学経営力の開発もあるけれども)、初めて研究系大学かあるいは教育系大学としてやっていくのかという方向を決めることができる。旧帝大系の大学は研究系大学としてやっていくのだろうが、それにも関わらず、そういうところで大学教育についての研究センターがいち早く作られているという現実。旧帝大系以外の大学はもしそういう意志があるならば、いち早く「うちは教育系で行く」と宣言して、率先して教育センターを作っても良さそうなのに、そういう動きは鈍い。つまるところ、大学や組織としての意志決定の速さが、その将来の消長を予測するということなのだ。

 言い換えれば、組織の意志決定の速さはその組織全体の能力の高さに比例するものだ。組織内の個々人の能力が高く、次々と新しい提案が出てくれば、足を引っ張って、新しい提案をつぶそうという動きは相対的に小さくなる。したがって提案が通りやすい。失敗することもあるだろうが、大成功をするケースも増える。一方、組織内の個々人の能力が低ければ、新しい提案は少ししか出てこず、しかも足を引っ張ってそれをつぶそうという動きは相対的に大きくなる(新提案のできない人は足を引っ張ることで自分の能力を確認しようとするからだ)。したがって意志決定は遅く、動きが鈍くなり、衰退の道を歩む。

 本当に、ロッテリアが学内にできたということを、驚いていてはいけないのだ。