KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ハードディスクのデータが失われても

 きのうの「G3ノートご臨終」の件で、掲示板にいくつかメッセージをいただいた。また、日記猿人の得票数も普段より多いような気がする。慰められたり、励まされたりしているような気がして、なんとなくありがたいなあ、という気持ち。

 ひとつわかったことは、私のような粗忽な者が精密部品の固まりであるノートパソコンのようなものを使ってはいけないということだ。これまでに集積されたデータ内容をノートパソコンに入れておくのは、やはりリスクが大きい。バックアップはとってあるとはいえ、最新のものでも、1年前である。ノートではなくデスクトップ機であれば、コーヒーをこぼしてもキーボードの交換だけですんだろう。デスクトップ機でも、地震や火事があればデータは失われるかもしれないが、持ち運びするノートパソコンよりは日常的な危険は少ない。

 もしノートのハードディスクの内容も壊れていたら、かなりショックは大きいだろう。しかし、たとえそうだとしてもまだ平静でいられるのは、重要なファイルはすでにWebサーバに置いてあるからかもしれない。ローカルのパソコンでHTML文書を作り、それをWebサーバに転送するということは、万が一ローカルのパソコンのデータが完全に壊れても、同じものがWebサーバにあるという意味で安全なシステムだ。逆に、Webサーバがもし壊れても、ローカルに同じものがあれば安全である。

 さて、ハードディスクの内容だが、もしそれがきれいさっぱりなくなってしまえば、それはそれで何の問題もなかったりする。その中には、もはやアプリケーションソフトがなくなってしまって、開けないような古いファイルもあったりする。ファイルは残しておけばどんどんふえるものだけれども、再利用する確率はすごく少ない。

 「超整理法」はアクセスした順に時系列で並べて、必要に応じて古いものから処分していくという方法だが、これはパソコンのファイルについても応用できるのだろう。ただファイルの場合は、ハードディスクの容量が許す限り、残しておいても問題がないので、わざわざ削除したりしないだけだ。

 新しいパソコンに乗り換えたりする機会に、ある程度以上古いファイルは新しいパソコンにコピーしなくても、何の問題もないはずである。