KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学の授業で満足を与えること

おととい、「看護心理学(看護婦/士さんのための心理学)」というのがあるんじゃないか、と書いた。そうしたら掲示板に、「そういうものはちゃんと確立している」という情報をいただいた。Amazonで、「看護、心理学」で本を検索してみると、たくさん出てきた。そうなのだ。ただ私がヌルかっただけなのだ。看護学校で教えるべき心理学の内容というのをちゃんと考えて、それで授業計画を立てなくてはいけない。これからでも、できるだけのことをやろう。

南山大学のうらかみさんの「ぶつぶつ」5月7日の日記から:

 教育はサービス業だというと,おそらくそうではないと反論する人がいると思います。確かにホテルのサービスと学校のサービスは違いますが,どうやって客・学生の満足を得るかというところの異同は,考えてみるとなかなか面白い点だと思います。ホテルであれば,客の要望に的確に応え,さらに客の期待以上のサービスを提供することで満足を与えることができる,とまとめてもよいのではないでしょうか。客の期待通りのサービスをしていたら,それは期待通りであって,客にとっては新規性も良い意味での驚きも何もありません。良いサービスを受けられたと実感できるときは,期待以上の何かにふれた時だということです。

 では大学ではどうか。一番難しいのは,学生の期待というものがあいまいであるというところにあると考えます。おそらく,この世の中に数多くあるサービス業の中で,これほど漠然とした目的で訪れる場所も少ないでしょう。ホテルなら滞在のため,映画館なら映画を見るため,大学なら…。勉強だという人も多いのですが,これがまたあやふや。予備校みたいに大学に合格することが目的で勉強するところなら,目的がはっきりしているのでまだ救われるところがあるかな。何とか偏差値を55にしたくで受講していたら60になった,というのであれば,期待以上ということで満足感が得られるでしょう。以前,大学以外のある養成講座の講師を引き受けたことがあるのですが,やはり受講生の目的がはっきりしている場所は,やりやすいなあと感じました。

 大学での勉強なんて,やればやるほど未知の部分が見えてきて,何で私は勉強しているのにわからない部分が増えてくるのだろう,なんてことを感じたりして…。わからないことがわかることは,わかろうという期待を持っている人にはぴったりのはずなんだけど…。そして教員は,「どれが正答なんですか」なんて質問が出てガックリしたりもする。

 ということで結論。大学の授業で満足感を与えることは困難である。対処方法。受講前に受講希望者と面接をして…,なんて非現実的だよなあ…。上手い手は無いものだろうか。

同じように悩んでいる文章を見つけて、連帯感を持ったりして。

学生の目的や期待があいまいであればあるほど、サービスとしての教育は難しくなる。ただ、あいまいな状態であっても、また、単位を取るためだけに来たのだとしても、一通りのことを提示して、それがひょっとしたら深くて面白い学問への手引きになるかもしれないという可能性は常にある。その確率はけっして高くはないのだが、ひとつでも例証があれば、教えている方はすごく救われる。しかし、それにしても全体的な満足をどうやって満たすかという(教育工学的な)問題とは、別次元なのだな。