KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

Web日記にサービスは不要

 Web日記として公開した時点から、何人かの読者ができることを作者は当然予期している。だからこそWebページを開いたのだろうし、日記猿人にも登録したのだろう。しかし、すべてのWeb日記書きが、できるだけたくさんの人に読まれることを望んでいるわけではない。私も「たくさんの人」にこの文章が読まれるといいなと思って書いている。だから得票やアクセス数が上がれば素直に喜ぶ。しかし、それは「無制限に/できるだけ たくさんの人」に読まれたいということではない。「適度にたくさんの人」に読まれれば、それで満足だ。

 自分のテキストをできるだけたくさんの人に読んでもらいたい、と決心すれば、相応の努力をしなければならないことになる。出だしから読み手を引きつけ、最後まで面白く読んでもらえて、しかも読みやすく、その内容が後々まで心に残るような、そんなテキストを作り出すためには工夫と練習が必要だ。そういうテキストを読むのは読者としては喜びであるけれども、しかし、Web日記がそういうテキストでなければならないということはない。

 Web日記を、商業ベースで流通するテキストと同じように見るのは明らかに間違いだ。Web日記を私たちはいつでもパーソナルな私信として読んでいる。一方、商業ベースで流通するテキストは、努力の結果としてそのスタイルが洗練されていることはもちろん、ネタのためにも多少の犠牲やコストを払っている。テキストを流通させるためには犠牲やコストがかかるのは当然だとされる。しかしそのやり方をWeb日記に持ち込むことで、トラブルが起きる可能性がある。Web日記の書き手とその読み手とで、そのとらえ方にギャップがあるような場合である。書き手は精一杯のサービスとしてのネタを提供したのである。しかし、読み手はそれを「ネタ」だとも思っていなかったし、ましてや「サービス」とも思っていなかった。

 Web日記はサービス不要の世界だ。ただワンクリックで最新の日記にリンクされてさえいればそれが最高のサービスだ。