KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

あなたのWeb日記の適度な読者数

 きのうの日記(3/17)で、自分のWeb日記は「適度にたくさんの人」に読まれれば満足だということを書いた。そうすると、「適度にたくさん」とはいったいどれくらいの読者数なのか、という話になる。別段、秘密はない。それはWeb日記を半年から1年ほど続けてみれば、自然にわかる。日記書きを1年続けたときに、あなたの日記についている読者の数、それがあなたにとっての「適度にたくさん」の読者数だ。これは実際のデータで確認したいところだが、直観的にはWeb日記を始めて3ヶ月程度で読者数は安定するように見える。

 そうして決まってきた読者数(一日あたりのアクセス数)や日記猿人の得票数は大幅に変化することはない。つまり、ある日いきなり2倍になったり、半分になったりすることはない。もちろん、日記猿人についてのテーマ(猿人ネタ)で書いたり、ケンカや論争が起こると、アクセス数は一時的に増えることが経験的に知られている。しかし、そうでもない限り、大きな変動はない。また、最新の日記に直接リンクするなどの「サービス」が得票数の自然増加に効果があることも、しばしば語られている。しかし、それにしても劇的な増加ではなく、あくまでも自然な増加である。

 あなたの日記の適度な読者数は1年後(あるいは3ヶ月後)に決まる。「そんなバカな! 私の日記の読者数がこんなに多い(あるいは少ない)はずがない! 何かの間違いではないか」と言ってもむだである。このときばかりはデータを信じることにしよう。なぜなら、このデータは頑健で安定しているのである。小細工では変わらない。だから読者数や投票数についてあなたが心配することは全然ないのである。心配することがあるとすれば、それは1年後(あるいは3ヶ月後)もまだあなたの日記が続いているかどうか、ただそれだけである。

 再び。あなたの日記の適度な読者数は1年後(あるいは3ヶ月後)に決まる。私は「適度な」と言っている。それは、読者数が多いから偉いとか、少ないから寂しいとか、得票数が多いからカリスマだとか、少ないやつは多くなってから文句を言え、というような物言いがまったく無意味だということを込めている。なぜならば、そのデータはあなたの書く日記によって、自動的に決まってくるからだ。読者数が多かろうが少なかろうが、あなたの日記の価値にはいささかも関与しない。

 自分の書く日記にさまざまな工夫や努力をすることで、あなたは読者数や得票数をコントロールできることを実感するかもしれない(たとえそれが誤差範囲内のものであったとしても)。そのことが、あなたの日記を書くための動機づけとなり原動力になっている場合もあるだろう。それは、あなたの書く行動もまた読者によってコントロールされていることも意味する。つまり、日記書きもその読者も、両方とも王様ではない。お互いにコントロールし、コントロールされている関係にある。これは一人でも読者を持った瞬間生ずる関係だ。

 「過大な」読者数は、あなたの日記書き行動をオーバードライブするだろう。はしゃぎ回り、過度に攻撃的になったり、ネタサービスをして回る。「過小な」読者数もまた、あなたの日記書き行動をオーバードライブするだろう。いじけ、過度に被害妄想になったり、寂しがったりする。しかし、現実には「過大な読者数」も「過小な読者数」も存在しない。あなたが今現実に持っている読者数が「適度」なのであり、あなたのWeb日記を今現実に読んでいる人たちが「適切な読者」なのだ。それはあなた自身が毎日書くものによって、必然的に決まってくる(ただし3ヶ月後に)。