KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

文章の長さ

 パソコン上のエディターで文章を書いていると、文章の長さの感覚が薄れる。リターンキーを押せば、いくらでも原稿用紙が長くなっていく。終わりがない。ここで終わりと宣言したところが終わりである。巻物の上で文章を書いているようなものである。

 問題は、どこで終わろうか困ることである。たとえば原稿を頼まれた場合は、400字詰め原稿用紙に10枚とか25枚という指定があるが、今書いているような文章では、それはない。完全に分量の指定から自由な世界である。だからどこできりをつけるかが困るのである。

 少し前までは、自分で1600字(原稿用紙4枚分)くらいで書こうと決めて書いていた。しかし、それはそれで不自由になってきた。というのは、文章の長さというのは含まれるアイデアの数と、その展開あるいは詳しさの度合いによって自動的に決まってくるものではないかと気がついたからである。

 経験的にはこういうことである。字数とその文章が述べている内容との釣り合いがぴったりとれていれば、その文章は美しい。内容が盛りだくさんなのに、字数が少ないものは空虚で、見かけ倒しで、何かを伝える力に乏しい。このたぐいの文章は、自然に漢熟語と大きな単語(たとえば社会とか教育とか文明などの単語)が多くなる。逆に内容は単純なのに字数を増やそうとしたものは、締まりがなく、だらけている。このたぐいの文章は、ぐちや独り言が多い(私の文章でもよくある)。

 言語表現の授業で学生の作文を添削していると、むりやり字数を増やそうとしたり、逆に、大きな単語ばかりを使って空疎になっている作文によく出会う。こうした作文の作者は、まだ文章の伝える力を実感していない人である。字数を満たせば文章になると誤って信じている人である。こうした人への指導は、まず、文章の長さとアイデアの数が対応しているということを知らせることからはじめなければならない。