KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

アイデアを文章にすること

 ギタリストで作曲家の高中正義がこんなことを言っている。「ミキシングやアレンジって絶対的な正解がない」(週刊文春、97.7.31)だから煮詰まると夜明けまでやってしまう、と。いい曲ができると自分は天才だと思うのだが、とも言っている。

 これは作曲だけでなく、書くことにも当てはまることなのではないだろうか。いいアイデアが思い浮かぶと自分は天才だと思う。アイデアを手帳に書き付けるときほど気分のいいものはない。そのときだけは、自分は天才だと思うことができる。

まあ、これもレトリックであり、そんなにしょっちゅう自分が天才だと再認識しているわけではない。たとえば頭のよい人が集まっていると思われる学会というところを見渡してみればわかるように天才はそうめったにはいないのが明らかだ。しかし、密かに自分は天才だと思うことは悪いことではない。他人の悪口を言うよりも数倍生産的だ。

 いいアイデアが思い浮かぶ。いいアイデアは100個にひとつくらいではあるが、たまに思い浮かぶことがある。しかし、そのアイデアを文章にするのが大変である。と言うのはアレンジに絶対的な正解がないように、アイデアを文章にする方法にも正解がないからだ。

 自分を振り返って考えてみると、同じようなアイデアを何回もいろいろな文章にしているような気もする。しかし、そのたびごとに、満足のいく文章にはなっていない。つまり文章に仕立て上げようという段階で、アイデアの生きの良さを失ってしまっていることがよくあるのだ。文章にしてみると、どこかで聞いたような、誰かが言っていたような、常識で考えられそうな、当たり障りのないものになってしまっている。だめだ、こんなんじゃない。そう思う。

 アイデアはキーワード、キーコンセプト、あるいは2-3行の詩である。文章はそれに型をはめていく作業なのだ。型にはめてしまってから、あれ、こんなアイデアじゃなかったのにな、と思うことがほとんどである。しかし、それにもめげず、何度も角度を変えて、視点を変えて、立場を変えて、人格すら変えて、同じアイデアを文章にすることがオリジナルなものを生むための方法だ。