KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

仲間選び

とにかく学校では、教師の目標を中心に、同年齢者の集団が形成されるのである。それに対して望ましい教育制度の下では、一人一人の活動が特殊化され、その活動のためにそれぞれが仲間を捜すというようなものになろう。

  • イヴァン・イリッチ「脱学校の社会」東京創元社, 1977, p.168

 授業の内容をWebで公開している(→授業のページ)。今走っているのは「認知科学」という科目だが、今回の内容は「心理尺度と心理テストを作る」というものに特化している。自分の授業をクラスの中だけで閉じたものにしたくないので、こんなことをしている。

 そうすると意外にも授業のWebページを見てくれる人が大学の外にいる。「面白い」あるいは、少なくとも「面白そうだ」と言ってくれる。ありがたい。うれしく思う。受講している学生さんはあまり「おもしろい」と口に出して言ってくれない。

 授業の内容を決めるときには、いつでも迷い、悩む。ここまでに得られた経験則は、「万人にフィットする学習内容はない」ということだ。したがって私が面白いと思うもの、必要であると思うものをやるしかない。もちろん、教育工学的段取りにしたがえば、学習内容を決めるに当たってはニーズ分析をきちんとやらなくてはならないのだが、これも学習者の属性を限定しなければ進まない。日本の大学生は自分が取っている授業にニーズを感じていないという点で、世界に例を見ないものなのではないかと思う。もちろんその原因は、授業を開く大学教員と学生の両者にあるのだが。

 万人にフィットするものはないとすれば、私が迷い悩んだ末に決めた学習内容だって、クラスの全員にフィットするものではない。しかし、クラスの外で探せば面白いといってくれる人がいる。

 同年齢の同地域の人々を集めてクラスをするということ自体がもう時代遅れになっているのだと思う。今やっていることが本当に面白いと思う仲間を集めることによって学習のコミュニティは容易に形成される。WWWもまだなかった時代にイリッチが構想したような「学習のWeb」を実現したいものだと夢想する。