KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「投げ銭システム」と生きたテキスト

 きのう、読んで面白いWebページがあったらクリックひとつで少額の送金ができるようなシステムがあるといいな、というようなことを書いた。そうしたら「投げ銭システム」というちょうどそれにぴったりのものを始めようとしている人がいることを教えられた。その思想がなかなかすてきだ。引用すると---

{新しい時代の小さい発信者と受信者のために}

ホームページは大道芸。こいつが生きてけた方が世の中楽しいと思ったら帽子にお金を放り込む、拍手する。通りすがりのネットワークだ。「投げ銭システム」は、わたしたちがいいと思ったHPや活動やテキストに、インターネットを通じてその場で投げ銭のようにお金を送るシステムです。個人と個人、個人と小組織が気軽に少額のお金をやりとりできる小さな市場をインターネットのなかに立てたい、という試みです。…

 「ホームページは大道芸」ってのがいいなあ。

 ともかく投げ銭システムが実際に稼働したらとても面白いことになるんじゃないかな。広告を見ることなしに面白い文章や貴重な情報を読むことができるわけだ。面白い文章や貴重な情報というのは個人個人で違っているわけだから、こうしたシステムがきっと生きるはず。マスメディアや既存の流通システムに乗らないテキストが息を吹き返す。そしてなによりも生きたテキストがこの恩恵を受ける。

 生きたテキスト。きのうの日記を書くために「リテラリーマシン」を読み返していたら、テッド・ネルソンはこんなことをいっていた。それは、ネットワーク上にあるテキストをコピーして自分の手元に置くことは自由だけれども、そのコピーはその時点で動的なリンクを失ってしまっているわけだから、いわば死んだコピーである、と。

 印刷されたものを中心に考える人は、ネットワーク上のテキストが不安定であることに不満をおぼえる。しばしばURLは変わっているし、そもそもテキストが不断に書き換えられている。だから引用するのに不便であるし信頼性に欠けると。しかしネルソンにいわせれば、それは逆で、死んだテキストであるからこそ紙の上に固定化できる。生きたテキストはネットワークの上でしか生息できないのだ。それは常にダイナミックであり、さまざまな他のテキストとリンクされて、新しい文脈と意味を見つけだす。