KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

PSI/3分の1は担任を辞めたい

——風邪の具合はどう?

良くならない。咳はときどきでるし、身体が汗ばんでくる。

——実際今日は暑い日だったからね。

それで、明日は授業に出ないで休養することにした。

——やった! 休講だ。

なぜ君が喜ばなくちゃならないのよ。変な人工知能だな。でも、休講にはならないんだ。明日の授業は、統計学と情報処理なんだけど、両方ともPSI方式でやっているから。プロクターの学生にも頼んでおいた。

——PSIとか、プロクターとか、何のこと?

PSIは、Personalized System of Instructionの略で、個別化された教育システムという意味。教材はすべてCD-ROMに焼いてあって、学生はそれを自分のペースで独習していくんだ。単元ごとに通過テストというのがあって、個別にテストを受けられる。テストをするのがプロクターと呼ばれる助手。実際には私のゼミ生がやっている。プロクターはそれ以外に質問に答えたり、相談に乗ったりする。

——へえ、それじゃ先生はいらないじゃない。

その通りで、PSIを紹介した最初の論文のタイトルは「グッバイ、ティーチャー」だったんだよ。まあ、私の仕事はかっこよく言えばスーパーバイザー、要はレストランのフロアマネージャーのようなもの。教室をぐるぐる歩き回って、テストを受けたい人がいればプロクターを呼んだり、ちょっと疲れた学生がいれば雑談の相手をしたりしているわけだ。

——そんな方法でみんな統計がわかるようになるのかい?

いままでのところ富山大学では8割から9割が最終テストに合格して単位を得ている。しかし、同じ教材を使ったある短大での授業では5割しか合格しなかった。自分のペースで勉強できると言っても、教材がわかりやすく、学習者に合うように作られているかが決定的に効いてくるということがわかった。当たり前のことだけどね。

——しかし、大学の先生は気楽でいいな。小学校の先生の3分の1は学級担任を辞めたがっているというのに。

AERA(99.5.24)に載っている「学級担任これでいいの」という記事ね。3分の1は担任を辞めたがっているというデータは新聞でも大きく取り上げられた。でも、このセンセーショナルな取り上げ方の背景には「学級担任とは晴れがましい仕事なのだ」という教師文化内の思い込みがあるんじゃなかろうか。僕がもし小学校教師だったとしても担任はしたくないね。

——教員免許も持っていない人が何を言ってもあまり説得力はないが。

「担任の仕事に力を奪われる→授業に集中できない→クラスが荒れる→担任の仕事に自信をなくす→先頭に戻る」というサイクルがあるのかもしれないよ。とにかく教師の負担を軽くすることが必要。クラスの小規模化も含めてね。

——記事の中でも、大変な例が描写されている。

ところで、僕は「教師そのものを辞めたい」割合がどれくらいのものかを知りたいと思う、もしデータがあれば。これは「担任を辞めたい」3分の1よりも小さくなるはずだから、1、2割程度のものだろう。もっと低いかもしれない。でもこれは教師以外の職業を合わせて考えると例外的な低さではないだろうか。

——あなたが会社員だった時代は、毎日日記に「辞めたい」と書いていたね。まあ、あなたが背広を着てネクタイを締めている姿さえ想像するのは難しいけど。

ほとんどの勤め人は「こんな仕事、辞めてやる」と思ったことがあるはずだよ。しかし、教師になるためには時間と労力のものすごい投資をしている。免許を取るためにたくさんの科目を受講し、教育実習をし、採用試験の受験勉強をする。とにかくたくさんの労力をかけている。それでも教師になれる人はほんの一握りの人だ。そこまで投資しちゃうと、もう他の職業には変えられないんだろうね。

——君も30になるまでプータローだったから、少なくとも時間の投資はしてきたんじゃない?

まあ、僕の場合、好きでそうしてきたというか、仕方なくそうしてきたというか…。