KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教育メディア学会@金沢経済大学

/小さな学会が生き残るためには

 25(土)、26(日)と金沢経済大学で開催された教育メディア学会の大会に参加してきた。この学会は数年前に、放送教育学会と視聴覚教育学会が合併してできたものだ。私はその少し前から学会員だったのだが、大会には参加する機会がなかった。今回が初めての参加だった。

 研究発表やシンポジウムなど、また二日間フルに聞いてしまった。研究の話を聞くのは楽しいけれども、さすがに疲れる。やはり来年あたりからは参加する学会の数を自分で制限しなくてはいけないかもしれない。伝え聞いた話だが、ICUの中野照海さんはこんなことを言うそうだ:「みなさん、学会なんか出ないで、研究しましょう、論文を書きましょう」と。ちなみに中野さんは教育メディア学会の会長。もちろん会長はこの大会で大いに働いていたが、味わうべき逆説的な名言だと思う。

 大会の内容そのものは面白かった。そのハイライトは明日書くことにして、今書き留めて置きたいのは、小さな学会が存続していくためにはどうするべきかということだ。

 教育メディア学会は小さな学会だ。類似の学会として、教育工学会と教育システム情報学会(旧CAI学会)がある。私はこれらの三つの学会に入っているが、どこに違いがあるのかよくわからない。私と同様に、これら三つすべてに、あるいはどれか二つに所属している人は多い。試しにこれら三つの学会の雑誌から任意の論文を抜き出して見ればいい。その論文はきっとどの雑誌に載ってもおかしくないだろう。それはつまり、これらの学会が自らの特色を出していないということだ。

 小さな学会はどのようにしたら生き延びて行けるのか。それは、この大会中に「教育工学会とどこが違うのか」というようなことばが何度か聞かれたことからも、危機として感じられていることがわかる。その解答は、メディア教育開発センターの佐賀啓男さんが控えめに、しかし確信を持って言ったことばにある:「人は少なくても、忘れられないように、継続的にメディア研究をしていくようにしましょう」。

 話題として、総合的学習や情報教育、インターネットの活用といった流行に乗ることも必要だろう。しかし、そのままの取り上げ方では教育工学会のような大きな学会との差が見えない。そうではなくて、教育メディア学会にしかできない取り上げ方が工夫されなければならない。その根底には「メディア研究」としての地道な蓄積がなければならないだろう。

 派手ではないが、流行とは独立した重要性を含んだ研究を評価していくような研究者コミュニティが中心になければ、そうした学会はいずれ消え去るだけだろう。小さな学会が生き延びる道、それは特化し、専門化し、高度化することだろうと思う。裾野を広げるだけでなく、頂上を高くすること。そのためには、いったい頂上がどこにあるのかを見る目を養いたい。