KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

オ持ち帰りで/知識の暗黒面

 ミスタードーナツでドーナツを買っていると、私の横に新しい客が来た。男の客だ。別の店員が「いらっしゃいませ」と声をかけ、応対をする。男はおもむろにこう言った。

「えーと、オ持ち帰りで……」

 ん? 自分で「オ持ち帰り」と言うのはちとオカシイのではないか? 店員が「オ持ち帰りですか?」と聞くのはワカルが。それとも、私の言語感覚がヘンなのか。

 イヤなことがあった。

 ボクの仕事は「心理学」とか「言語表現」とか「統計学」とか名前の付いた授業を開いて、なにがしかの知識や技能を学生にトランスファーすることだ。その授業を聞きたいといってやってくる学生に対して、「キミには教えたくない」といって拒否する権利はない(と思う)。しかし、「こういう人には教えたくない」と思うこともまれではあるけれども、ある。

 一般教養の心理学の授業で「犯罪者プロファイリング」について話した。その中で、ひとつの例として強姦という犯罪にもパターンがあり、それは4種類ほどに分類できることや、連続犯行が起こった場合に、その場所のデータから犯人の居住地が高い確率で推定できることを話した。もちろん、私はこの領域の専門家ではなく、専門書からの受け売りである。法学系の学生が多いこともあり、また、授業の初回に取ったアンケートで「取り上げて欲しいトピック」にプロファイリングが多かったこともあって、30分の時間をとって特別に話をしたわけだ。

 授業の終わりには、いつもの通り「質問書」を書いてもらって回収した。100枚以上ある質問書全部に目を通す。その中にたった一通ではあるが、「今日の話を聞いて、うまく強姦をやろうと思いました」というのがあった。

 「あ、いかん」と思った。もちろん冗談なんだろう。冗談に決まっている。そうでなければ自分の名前入りでそんなことを書くものか。しかし、たった一通のこの文面を見た瞬間、「あ、いかん」と思ったのだ。

 知識は力だ。使いようによって、良いことにも悪いことにも使うことができる。スターウォーズにならえば、フォースにも暗黒面がある。それをコントロールする理性がなければ、知識を得ることは悪にもなりうる。

 これまでボクと学生とは同じ何らかの共同体に属していると、無条件に思っていた。しかし、よく考えたらそんな保証はどこにもないのだ。ナイーブすぎた。「うまく強姦をやろう」〓〓この文面で目が覚めた。もう教室にはいるとき、ナイーブではいられない。