KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

人が大学を選んでいる時代

明日は前期日程試験。

以前にも書いたが、入学試験はできるだけ簡素化するのがいいと思っている。とにかく、受ける方も、受けてもらう方も、ものすごいコストがかかっている。AO入試(自己推薦制度)も、その理念には賛成するのだが、それを実行するための人的・時間的コストが莫大になることが予想できる。AO専任事務官を持たずにやろうとすれば、教員がその仕事を請け負うことになり、その時間的拘束はつらいものになるだろう。

もはや、入学したい人は全員入ってもらえばいいのではないか。入学したあとにがんばってもらうためには、入学時に燃え尽きてしまうようなシステムではだめなのだろう。すんなり入ってもらって、徐々にがんばってもらう。そんなシステムの方がいいのではないかと考えている。

推薦入学の枠も、文部省の意向もあって、拡大する一方だ。しかし、私はこれには反対で、推薦入学枠をなくしてしまいたいとすら考えている。センター試験で、一定の点数を取っていれば誰でも入学できるようにしたい。つまり、センター試験を資格試験として使うわけだ。これによって、個別試験も、推薦入学の試験もなくすことができる。

こういうことを主張すると、センター試験だけで決めてしまうということは、「個性」を認めないのではないか、と反論する人がいる。逆だ。センター試験だけで決めるからこそ、多様な人が集まってくる。面接では、引っ込み思案の人は不利だ。自己推薦では、押し出しの弱い人は不利だ。なにやら根拠もないのに、口だけは達者なやつが目立つような教室にはしたくない。

もはや大学が人を選んでいるのではなく、人が大学を選んでいる時代なのだ。そこに敏感にならなくてはいけない。そういう時代だからこそ、一貫したポリシーを持っている大学だけが生き残っていくだろう。おもねるのではなく。