KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

危険で寂しいソフト

この不快感はなんだろうか。学生であることの意味があまりにも意識されていないことが、不快なんだろうな。学生というのは猶予されているのだ。学生の自由な時間は、アルバイトにつぎ込むために与えられているわけじゃない。時間を切り売りして生活費を稼ぐような日々ではなく、金はなくても本を読む時間があるというところに学生の意味があるのだ。学生でいることを、自己を訓練する機会としてとらえていないのなら、フリーターでもしているがいいだろう。大学にいる必要なんてこれっぽちもない。授業料を払っている親が泣くぜ。

と、まあ、過激になっているのも、ここのところ、ちょっと忙しいからなのかもしれない。事務仕事で忙しいというのは、つらいものだ。仕事を端から片づけていっても、少しも充実感が残らない。 で、私より時間がありそうに見える若者をいぢめてしまう、と。しかし、若者には時間があるのだろうか。今の若者はとにかくとても忙しそうに見える。

おなじ忙しいなら、本を読んだり、論文を読んだり、研究ネタについてあれやこれや思いを巡らして、一日を過ごしたい。そんな過ごし方が私の理想だ。しかし、今はそれができない。今は、というのじゃなくて、ここ数年そんな感じじゃないのか? まったくなんということだ。

何かを切っていかなくてはならない。

参加している委員会が多すぎる。仕事のできる人のところに仕事が集まってくるものだ、と言われるけれども、困ったものだ。自分が仕事ができることをいばっているわけじゃない。一見して、仕事ができなさそうで、誰も彼にものを頼もうとしない、そんな人が理想なのだ。それなのに、何かとしゃしゃりでてしまう自分がイヤだ。そうして、何にでもすぐ飽きてしまう自分がイヤだ。

とうとう、Office:macのスケジューラー(Entourage)を使うようになった。このソフトは危険だ。毎日がどんどん忙しくなる。仕事リストがどんどん増える。仕事リストを端から消していくことだけに頭が集中するようになる(それがソフトのねらいなのだ)。それなのに充実感はまったく得られない。危険で寂しいソフトである。そして、それを使わなければならなくなった自分がもっと寂しい。