KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学教員は大学運営のプロではない

授業がたくさん。そしてその合間に会議がサンドイッチされた形で、やたら忙しい。空き時間がない。確か以前、文部省から「会議を減らすように」という通達が出されたはずだ。しかし、現状はそうなっていない。それどころか、ますますたくさんの会議が開かれ、しかも長時間化している。

ひとつわかったことは、一般的に大学教員はマネジメントの仕事ができない、ということだ。会議ひとつとっても、効率的、合理的に物事を決めていくことができないのだ。理由は簡単で、口先ばかりの理屈屋が多いことだ。たとえば、3年先の入試科目を決めることもできない。なんやかんやと議論を蒸し返し、堂々巡りを繰り返す。もうそのときには、この学部は今の形ではなくなっているのだから、暫定的にでもすっきりした形で決めておけばいいだけのはなしだ。そういう合理的な判断ができない。

大学教員は、(一応)研究のプロだ。一応というのは、採用されるときにそれなりの審査基準を満たしているはずだから。また、教育のプロでもある。これはちょっと怪しいところもある。なぜなら、大学教員の全員が教員免許をもっているわけではないから。私も免許を持っていない。でもまあ、最近のプレッシャーと自助努力で、一応のレベルは満たしているはず。

しかし、大学教員は大学運営のプロではないし、ましてや経営のプロでもない。そうした集団が寄り集まって、ああだこうだいっているのだから、効率的な運営などできるわけがないのだ。

大学教員は、研究と教育に専心するべきだ。それはむしろ教員の基本的な姿に戻ることではないだろうか。大学の運営は、志と専門能力のある少数の人に任せるのが良い。それは教員ではなく、大学外から雇うのがいいだろう。そして、教員と運営グループはお互いの仕事について評価しあうシステムを作り、緊張のある関係にする。そんなふうにしなければ、大学はどんどん迷走していくに違いない。