KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ワークショップの進化

西日本ツアーでは、ワークショップを3回、講演会を2回、それぞれ同じ内容で開催した。同じ内容でやっているのだけれども、場所と参加者が変われば、いろいろと変化が起こる。さらには、同じ内容を繰り返すことによる影響がある。

ワークショップを例にとると、1回目は、「熱い語り」が随所に入り込んだために、参加者のワークの時間が圧迫された。2回目は、1回目ですでに「熱い語り」を済ませてしまったために、話の時間はわりとあっさり終わり、逆にワークの時間を長めに持つことができた。3回目は、前の2回のちょうど中間地点くらいでバランスが取られた。

同じタイトルのワークショップや講演会であれば、同じ内容のことをしたいと思っている。それが、教える側にとっての品質管理ということだからだ。Aで開かれたワークショップは、Bで開かれたものとはずいぶん違っているということになれば、参加者からも不満が出てくるだろう。だから一定の品質を保ちたいというのが、ワークショップを提供する側の倫理観である。

とはいえ、ワークショップが完全に完成するということはなく、いつでも改善の余地が残される。提供する側も、何回も経験を積めば、ワークショップの進め方に関して徐々に熟達する。だから、なるべく最新のバージョンのワークショップを受けた方が得だ、という見かたもできるかもしれないが、一概にそうとも言えない。熟達化するということは、無駄な力みを捨てるということだが、それは同時に、無駄な力みの中にあった情熱を抑え込むということにもつながるからだ。

同じ品質管理をするように努力した中にあっても、あのときのワークショップは何か神懸かり的なものがあったな、と思うことがある。それは、運営の熟達化とは違う、無駄な力みの中の何かが参加者を触発し、全体の中の相乗効果として現れたのかも知れない。

とすれば、ワークショップの進化とは、単純な熟達化ではなく、いつでも何か新しい試みをして、ワークショップ自体を変化させる試みの連続であるということができるかもしれない。