KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「ビビリ橋」から派生した文脈の話

http://d.hatena.ne.jp/pockapoka/20050412#p2より

  • ソレを取り囲む文脈が変わっても、ソレがコンスタントにソレであり続けることに変わりはない。
  • しかし、ソレがコンスタントにソレであり続けることに変わりがないにもかかわらず、ソレを取り囲む文脈が変われば、ソレが持つ意味合いが変わる。
  • 新しい文脈の中でソレが持つ新しい意味合いは、しかし、ソレがコンスタントにソレであり続けることに動機付けられて成立する。(たとえば海上10メートルであっても、橋の幅が5メートルとかになれば恐怖心は生まれない。橋が45センチであり続けるからこそ、怖いのだ。)

最後の段がちょっとわかりにくいですが、文脈が変わると、ソレの持つ意味が変わるのは、相変わらずソレがソレのままだからだということなのかな。ということは、文脈が変わっても、ソレの意味が相変わらず変わらないためには、ソレ自体が変わる必要があるということ(海上10メートルなら、幅を広げなくてはならない)ですね。ソレの「意味」というのは、ここではソレに対して取りうる行動、つまりアフォーダンスということになりますが、それでよいですか。