KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

締切があるからこそ自由になれる

今の時期、卒論やら修論やらで「締切の季節」である。私の人生も他人にひけをとらず、たくさんの締切に追いまくられてきた人生であったと思う。そこで、心がけたことは「締切だけは破らない」ということである。さらに言えば「内容なんて二の次、だけど締切だけは守る」ということである。ひどい話である。内容よりも締切を重視してきたのであるから。本当に申し訳ない。だけどそれが真実である。

特に、原稿や論文を書く仕事は、いくらやってもパーフェクトということがない性質の仕事である。だから、締切までに「形」にするということが一番大切なのである。逆に言えば、締切がなければ、原稿は「形」にならない。いつか書こうと思っている原稿は「永遠にできない」。これは、これまでの自分の経験から実証済みのことである。

だから、締切があることが本当にありがたい。締切がなければ永遠に形にならない原稿が、締切までには必ず形になるのだから。いつでも私は、自分に締切を設定してくれる人を探している。締切を設定してくれる人がいれば、必ず自分は原稿を書くだろうということを確信しているからだ。

だれも締切を設定してくれないときはどうするか? そのときは,自分自身で自分に締切を設定しなくてはならない。しかし、それはたいてい失敗する。自分との約束は守られないことになっているからだ。だから、誰かに締切を設定してくれるように、その人に持ちかけるのだ。

締切があるおかげであらゆる仕事は達成される。そしてそのおかげで,自分は自由に生きられるのだ。もし締切がなければ、いつでも「あれもしたい、これもしたい、だけど何も完成していない」という苦しみから逃れることができないだろう。