KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「不公平な平等」のパラドクス

4/2付の読売新聞に「「習熟度別」で意欲・自信」という記事が載っている。

川崎市立東小倉小学校では習熟度別によるプリント学習を実施している。自分の今のレベルにあったプリントをこなしていく。「跳び箱が四段から五段に変わったときみたいにうれしいな」という子供の声を紹介している。なかなかわからない場合は個別に助言をする。その子の声。「(時間に間に合わなくて)悔しいけれど分かったからいい。次、頑張る」と。

(これはまさにPSI=個別化教授システムそのものだ)

また、品川区立荏原三中では、数学で4つのコースに分けて授業をしている。 最初にレベルを示すテストを行い、その結果を見て、生徒自身がコースを選ぶ。

習熟度別学習は「差別」と取られやすい。 競争ではなく「それぞれに応じた学習」とする意識改革が必要だとまとめている。

競争するのではなく、自分の理解のペースでやっていくことが、本来の学習の姿なのだということに多くの人が気がついてきている。他の人と自分を比較する「競争的感覚」と、自分の以前の姿から自分の今の姿を意識する「内的感覚」の区別をはっきりつけること。そして、内的感覚を重視していくことが大切なのだということを体で覚えていくことが大切だ。

私がやっているPSIでも、競争的雰囲気はほとんどないように思われる。逆に、お互いに教え合ってやっていこうという自発的な雰囲気が見られる。

大学の場合は、選べる科目のバリエーションが広いので、そもそも競争的雰囲気は生まれにくい。小中高では、みんなが同じ科目や内容をやるので競争的雰囲気が生まれやすい。それを避けるためには、特色のあるさまざまな科目を選択できるようにすることだ。並行して、これはマスターしておくべき基礎だというものを一人の落伍者もなくマスターしてもらうこと。そのためには、学年の枠をも取り払った習熟度別クラスを設けるのもいいだろう。

同じ内容をみんなが一斉に学ぶという「見かけの平等」は、実は、一人一人が違った学習スタイルと学習ペースを持っているという事実を無視した「不公平なシステム」だった。習熟度別コースは 「不公平な平等」のパラドクスを乗り越えて、 広まっていくのではないか。