KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ビビリ橋のアフォーダンス

ビビリ橋のアフォーダンスについて、http://d.hatena.ne.jp/pockapoka/20050416#p1から。

これはわたしの拡大解釈なのかもしれませんが、わたしはアフォーダンスについて、たとえば橋に関して言えば「渡れる」ということだけで考えるのではなくて、「簡単に渡れる」みたいなレベルで考えてもいいのではないかと思っています。行為の可能性を「できるかできないか」というall or nothing的なものと考えるのではなくて、「どれくらい簡単にできるか」「どれくらい楽しくできるか」というように、<難易><快不快>などの尺度に関して連続的なものと捉えてもいいのではないかと。

同感です。アフォーダンスについて「その行為を誘い込む」ようなイメージで私も捉えていました。同じ幅45センチの橋が、その置き場所によってそのアフォーダンスが変わってくる、と。なぜ幼児はボタン形状のものを押すのか、ということが長年気になっていますが、それは、危険なボタンを押させないために、チャイルドロック以外の、何か方法があるのではないかと考えているのです。文脈を変えることでボタン形状のものを押させなくなるような、そんな文脈を考えればいいということになります。それが思いつかないのですが。思いつけば特許を取れるような気がして。