KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

自分のテーマを決める方法

誰でも自分のテーマを決めるに際しては悩むものだ。しかし、悩み苦しむよりも、何でもいいから、気軽に決めてしまったほうが結果としてはいい、ということをここで説明しよう。これは、卒論のテーマに限らず、自分の職業を決めるときにも、もっと大げさにいえば、自分の生き方のテーマを決めるときにも役立つはずだ。

どんなものでもいいから、まず決める

一言でいえば、最初のテーマは、どんなに卑近なものでも、どんなに突飛なものでもいいのだ。まずそれを決めてから、文献を探し、本を読んだり、考えたりしていくと、そのうちに着実なテーマが自然に決まってくる。どんなに枝葉に見えるような部分から始めても、そのうちに太い幹の部分に行き当たるものだ。何でもいいからまずテーマを決めることは、まず第一歩を踏み出すためのきっかけとして、必要なのだ。

私のやっている研究テーマで、たとえば、留守番電話の研究は、新聞の投書欄を読んでいて思いついたものだ。その投書は、「せっかく留守番電話をとりつけたのに、ちゃんと伝言してくれる人はとても少なく、たいていはそのまま切ってしまうので残念だ」という内容のものだった。それならば、伝言しやすい留守番電話を作るにはどうしたらいいかというテーマを設定した。それが、あいづちの研究に進展し、口述筆記の研究につながってきた。ひとつのテーマは広がって、どんどん別のテーマを産んでくれる。最初のテーマから広がって産み出された、別のテーマのほうが、面白そうだと思ったらそれに乗り換えたっていい。

最初から適切なテーマはない

つまるところ、最初から「研究に適切なテーマ」などというものは、ない、と考えるべきだ。たとえば、「地震予知」というテーマは重要であり、たくさんの科学者が取り組んでいるテーマではあるが、地震予知そのものが不可能な行為だと断言する人もいる。そうだとすれば、地震予知に真正面から取り組むよりも、地震が起きても停電しない送電システムや、壊れにくい高層建築の研究に予算をかけるほうが、全体として有効であるかもしれないのだ。

大きな問題の真正面から突破して行くよりも、何か別のことを研究していて、それが結果として大きな問題の解決の糸口になったという例は数多くある。逆に言えば、どんなにささいな問題でも、あるいは、どんなにとるに足らない問題であっても、それを深くつきつめれば、必ず大きな問題の根っこにつきあたるということなのだ。だから、自分がやっていることが、ひょっとしたら、くだらない、笑われるようなことなのではないかとびくびくする必要は、これっぽちもない。一度テーマを決めたら、それを深く掘り進むことだ。そうすれば、自然に太い幹に突き当たる。

この太い幹が、自分のテーマの背景理論である。前に挙げた、留守番電話というテーマからは、会話研究や会話分析、あるいは、インタフェース理論という太い幹に突き当たる。 

そうしたら、今度は背景理論のほうから、自分の具体的なテーマをとらえなおしてみる。ここで、背景理論についての勉強が必要になる。しかし、具体的なテーマを持ちながら背景理論を勉強すると、それまでは無味乾燥だったそれが、急に面白く見えてくるから不思議だ(逆に言えば、どんな学問領域でも「理論編」が退屈なのは、学習者の手元に具体的なテーマがないことが原因だ)。背景理論のほうから自分のテーマを見直してみると、それまでは、ちょっと頼りなく見えていた自分のテーマが、輝いて見えることだろう。そうしたら迷うことはない。突き進むだけだ。研究とは、手元にある具体的なテーマとその背景理論とを対比させながら、また、その間を交渉しながら進めていく行為なのだ。