KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大学という自由

向後ゼミの1993年度卒業生が、会社を辞めて、この後期から聴講生として来ることになりました。彼女は大学院入試を受けるつもりとのこと。これからは、このように社会人になってからも、どんどん大学や大学院に来て、勉強や研究をする人が増えていくんだろうね

大学という自由

学部を卒業して、会社にはいると、「あー、大学にいたときに、こんなことを勉強しておくんだった」と思うことがしばしばある。また、大学にいたときには、なんでもやろうと思えばやることができる時間があったことを、なつかしく思い、と同時に、それを十分に活用することができなかったことを悔しく思ったりするものだ。しかし、それは会社に入って「9 to 5」の毎日を充分体験するまで気が付かないものなのだ。だから「大学にいる今の時間を無駄にしてはいけない」なんて説教をたれるつもりは、さらさら、ない。それどころか、徹底的に無駄なことをしたほうがよいと真剣に思う。損得なしに自分の思うことができるのが今だから。

まがりなりにも二年間のサラリーマン生活を体験した私は、自分がやろうと思えば、どんなこともできる自由があることが本当にすばらしいことだということを知っている。自由はどんなことよりも貴重だ。それを考えれば、少しくらい今の給料が安くたって、がまんできる。

会社人の毎日を充分体験してから、大学に戻ってくると、ここが本当にパラダイスであることが実感できるだろう。それは、嫌な上司がいないこととか、ノルマがないことも、もちろん理由になるが、何よりも、自分のやることを自分自身で決めることができることのすばらしさにつきるのだ。しかし、自分で決めることのすばらしさは、皮肉なことに、他人に一日の大部分の行動を決められてしまうような、不自由な毎日を一度は味わってみなければわからないものなのだ。(もちろん、不自由な毎日のほうが好きな人がいることも確かなのだけれど)

会社を辞めて、大学に戻ってみると、勉強したり、研究したりすることが本当に面白いことなんだということを実感するだろう(そうでなければ、なんで大学になんか戻ってくるだろうか)。その面白さは、いささかつらかった、会社経験のおかげだ。だから、会社にいたことは無駄じゃない。自分のやっていることが、面白く感じられるということは一番の幸せなのだ。