KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

生き方はあるとき突然変わる

 私はいわゆる夜型人間であった。それもつい一年前くらいまでそうだったのだから、37年間の夜型人間である。かなり筋金入りである。

 中学・高校時代は、深夜放送にのめりこんでいて、よくパーソナリティにはがきを書いていた。もしかすると書く習慣はこのときに作られたものかもしれない(人間何がきっかけになるかわからないものだ)。明るいうちはいつでも寝不足だった。起きているときはいつでも眠かったという記憶がある。

 大学時代はたいてい午前中の授業はサボっていた(もっとも午後の授業もほとんどサボっていた)。午後から大学にバイクで乗り付けて、日が傾くころに仕事を始めた。たいていはApple IIという元祖パソコンでプログラムを組んでいた。そろそろエンジンがかかってきたな、と思うと「追い出しおじさん」がやってきてしぶしぶ帰るのであった。早稲田では夜10時で学生は閉め出されてしまうのであった。警備のおじさんを私たちは「追い出しおじさん」と呼んで疎んでいた。しかし、それでも早起きして時間を有効に使おうとは思いもしなかったのだ。

 サラリーマン時代にも早起きの習慣はつかなかった。タイムカードにつけられた遅刻の印である赤の印字がいつまでも減らなかった。人事部にいた私は自分で自分のタイムカードを調べて、自分の給与から15分単位で遅刻分の賃金を引くのであった。プログラマとしてはいったつもりだったのに、そんな仕事をしている自分と、いつまでも遅刻の癖が直らない自分が二重に情けなかった。

 富山大学に就職しても、早起きにはならなかった。サラリーマンとは違い、早い時間に授業を入れさえしなければゆっくり出勤しても怒られることがないのが天国のようだった。一度、一限目に授業を入れたのだが、時間通りに来るのがつらいし、何よりも寝ぼけていて頭がうまくまわらないので、それっきり一限目に授業を入れることはない。

 私は自分の夜型人間さに誇りを持っていた。と同時に、いつか歳をとれば嫌でも早起きおじさんになってしまうのだから、いまからじたばたしても意味はないと思っていた。

 果たしてそのときは来た。朝は「あぐり」だってゆうゆう見られるし(あまり真面目に見てはいないが)、夜は12時過ぎると眠くなる。そう、私はいよいよおじさんになったのである。早起きおじさんである。人によっては7時前後に起きることを「早起き」と呼ぶことはほとんど冒涜だと言われるかもしれない。なんでも筑波大学海保先生は午前3時に起きるということを聞いたことがある。しかし、私にとっては7時でも奇跡に近い早起きなのである。

 早起きになると同時に、生活が妙に規則正しくなった。遅起きだったころは、昼飯を昼過ぎの2時とか3時に食べていたのだが、今は11時過ぎる頃になるともう腹が空いてくる。昼飯をきちんと12時くらいに食べるものだから、夕方は6時を過ぎるともう腹が空いてくる。したがって、夜7時前には研究室をあとにする。隣の大学院生の部屋を覗いて「腹が減ったから帰るよ」といって帰る。院生は、これからが自分の仕事の時間だというような雰囲気を頭のあたりから発散している。しかし、朝8時からほとんど頭をフル回転させて仕事をしてきた自分には夜6時くらいで、仕事はうち止めである。これ以上やっても時間が無駄に過ぎるだけだ。

 やりたいことは山ほどある。次々と新しいアイデアが浮かんでくる。けれども、ここでやめることが大切なのだ。若いときは、まるで今日までしか命がないかのように焦っていた。しかし焦りとは裏腹に仕事は進まず、かえって回り道をした。今はなんとなくではあるが道が見える。だからこの道を進めばいいのだということが安心を生んでいる。不思議なものだ。一瞬ではあるがあらゆるものの布置が決まり、そこから自分の道が見えてくることがある。そうすると焦りはない。焦りのない毎日は規則正しくなるのだ。これは自分がプロに少し近づいたことの証拠であるような気がするのだ。

 本人の意識としてはプロの域にはまだまだと思っているのだが、自分のことについての自分の意識は当てにならないものだということを知っているので、自分の行動パターンから自分の状態を推察してみると、意外にもプロに近づいているのかもね。