KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

意志の上にも三年

 もちろん正しくは「石の上にも三年」である。「いしのうえにも」で漢字変換したら、これがでてきた。なかなかいいフレーズなので採用する。

 テーマは私の「移り気」である。これは筋金入りである。何かの仕事に手を付けたと思ったらすぐにそれをほっぽらかして、別のことをやっている。今度はそれに熱中するのかなと思ったら、また別のことをはじめている、という具合である。企画は次々と立てるのだが、それを完成まで成し遂げることはほとんどまれである。また、完成しなくてもあまり執着することなく、あるいはほとんど忘れてしまっている。それでにこにこしているものだから周囲の人々には(特に学生さんには)半ばあきれられている。

 そんな私に親身の忠告をしてくれる人が最近立て続けにあった。その忠告が「石の上にも三年」である。私のことをよく知り、しかも思いやりを持って考えくれる人からの忠告なので、これはすこし真面目に考えねばらならないとも思う。

 自己分析してみよう。まず物事に執着しないということがある。これはかなり悟りを開いてしまっている(自分で言うのも何だが)。物やお金にあまり執着はないし、研究費もなければないでなんとかなる。人事抗争に口を挟むこともないし、競争心もかなり落としてしまっている。出世や名声というのにもあまり野心はない。つまり「みてろよ、いつか俺だってな・・・」という根性がないのである。現状でかなり満足している。その割に、他人の悪口はかなり言うのであるが。

 客観的に見ると、この状況は研究者としてはかなり危ない。研究者として一番大事な資質は粘り強さである。どんなことでも、そのことに3年間没頭し続ければそのエキスパートになれる。そこでは、3年間没頭するという行動そのものが大切なのであって、どんなことをやるかは問題ではないのである。繰り返すが、どんなテーマであっても3年間没頭すれば、そのことについては専門家になれる。そして、論文の一本くらいは最低限ものにすることができるのである。

 鷲田が「大学教授になる方法」の中で言っているように、偏差値50の人間(つまり平均値の人間)でもきちんとやれば研究をして論文が書ける。論文は天才や秀才でなくても書けるし、才能がなくても書ける。これはベストセラーの小説は(おそらく)才能や特殊な体験がなければ書けないことと対照的である。ただひとつ、論文を書くには粘り強さが必要なのだ。こんなことをやってなんになるのか、という自身の疑念と戦い、なにをやっているんだか、という周囲の冷笑と戦い、あれこれと思いつく限りの難癖をつけてくる論文査読者と戦って、一編の論文が世に出るのである(その苦労の割にあまりにも読者の数は少ないのだが)。

 ちょっと脱線した。問題は私の移り気であった。つまり私は自分で何かの専門家になろう、という気を持っていないのだろう。自分が今興味を持っていること、おもしろいなと思っていることをただ知りたいだけなのだ。この研究をすることが長い目で見て、大きな研究のひとつの柱になる、とかそういうことをまったく考えていないのだ。そういう大きな構想力がないことは、これまでの研究を振り返ってみればわかる。すべての研究が、たまたまそのときの思いつきで始めたものか(たとえば、留守番電話の研究)、先輩がやっていておもしろそうだったものか(たとえば、卒論や修論とそれから派生した研究)、たまたま頼まれてやった研究か(たとえば、字幕映画の眼球運動)のどれかなのである。ああ、ため息。

 博士論文の書き方については、幾人かの研究者にインタビューして手順がわかった。まず、2〜5本の査読付き論文を発表し(何本の論文が最低限必要かは、博士論文を提出しようとする機関によって決められている。必要な論文の数は私の知る限りでは2〜5本の範囲である)、それをまとめてひとつの博士論文とするのである。ここでポイントになるのは、博士論文として一貫したテーマについての論文になっていなければいけないことだ。ということは、順次発表しようとする論文についても、あとでまとまりがつくように道筋ができていなければならないということだ。実際には、まとめの際にかなり強引なことも行われているようだが、それにしてもひとつひとつの論文のテーマがまったくばらばらではまとめるときにつらい。

 というわけで、私はかなりつらい状況にあるわけだ。しかし、そんな私にも「石の上にも三年」と言ってくれるありがたい友人がいるわけで、もうすぐ39歳という年齢になることも考えて、少しはこの移り気を押さえていかねばなるまいね、ということを考えている今日この頃である(なんだか真剣味があまり感じられないなあ)。