KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

日記猿人、自分の一票

 うかつであった。日記猿人に登録してもう3ヶ月になろうとしているというのに、ずーーーっと自分自身に対しては投票できないものと思い込んでいたのである。「なお、ご自分に入れた投票は自動的に無効となりますのでご注意下さい」というマニュアルの一文すらはっきりと思い出すことができるほどだ。記憶はねつ造されるということのよい例だろう。

 なぜそんなふうに思い込んでいたのか? それはこういうわけだ。日記猿人に登録が無事終わってから、まずやることといえば何か? それは記念の一票を自分自身に投じることである。
 「ぷちっ」(←投票ボタンを押す音)
 「ぐわらんぐわらん」(←ネスケの流星群が流れる音)
これで記念すべき一票が入った。さて投票状況を見てみよう。「ん?」はいっていない。見事にゼロ票。「ああ、そうか。そういえば自分への投票は無効なんだったな。そう書いてあった。(←書いてない)」それ以来、私は自分への投票はできないと思い続けていた。

 しかし、これには裏があった。日記猿人の投票状況は1時間ごとにしか更新されないのだ。したがって、自分に投票しても見かけ上すぐには一票がはいらないのである。このことに気がついたのはつい最近のことであった。それに気づかずに自分への投票は無効だと思い込んでいたのである。名前は忘れたが、ある日記で「日記作者は少なくとも自分で一票を入れるべきである」と主張していたのを読んで、「バカだなー、この人は。自分には投票できないのに」と思っていた。バカなのは私である。

 自分には投票できないと思い込みつつ、登録して最初の数週間は自分の投票ボタンを押していた。それは、ちゃんとボタンが押せるかどうかをチェックする意味もあったし、たくさんの人に押してもらえるようにとおまじないの意味もあった。何ということのない習慣であった。当然、toyama-u.ac.jpからの票は着々と入っていった。しかし、私は、何の疑いもなく、それは富山大学にいる私以外の誰かからの暖かい投票だと信じていた。私の票であるはずがないではないか。自分には投票できないのだから!

 私はその票がいったい誰からのものなのかについて、思いをめぐらせていた。「ゼミ生の誰かからかな? みんなふだんは私に冷たいくせに、そっと思ってくれている学生がいるんだな」「いや、ゼミ生のはずがない。なんせ、組織票はイカンとわしに説教するくらいだからな」「そうするとやはり教員か。私の日記を密かに読んでファンになっている人が意外にもいるのかも知れないぞ、うひ、うひひひ(←疑いもなく女性を想像している音である)」「しかし、それにしても毎日投票してくれるなんて熱心だよなあ」

 しかし、しばらくすると富山大学からの投票はなくなった。私は少し動揺した。「どうしたのかな。病気でもしているのかな。海外にでも出かけているのか。おろおろ」その投票が止まったのは、私がボタンチェックの儀式をなんとなくやめた時、その時のことであった。

 これを書いている今、すべてのことは明らかになった。そしてこのことをネタにして1日分の日記を書こうという気になった自分自身に、すこしばかりの図太さを見いだしている。toyama-uからの一票に心躍らせていた、3ヶ月前の自分の姿を遠くに見ながら「オレも40になったんだ。涙はいらない」とつぶやく。

 今、私は自分に一票を入れる。一票が宝物のように思えていた、最初の頃の気持ちを思い出すために。