KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

趣味としての研究

 平日日記の方で大学院のことを書いたら、予想外に反響があった。企業と大学の人材流通や社会人入学については考えるに値するトピックであると思うし、実際そう考えている読者が多かったのだろう。ここでは、オカダさんの出されたトピック「職としての研究と趣味としての研究」について考えていることを書く。

 とはいえ、実は澤田さんが次に書かれていることとほぼ同じことを考えているので、あまり追加することはない。平日掲示板の澤田さんからの引用---

オカダさんのおっしゃるように、「研究者を目指す人と,趣味として研究する人とでは本人の意識はもちろん隔たりがあ」るというのは、食べて行くための職業として研究者になるかどうかという観点からすれば、その通りなんだろうと思います。

ですが、食べる手段は別に持ったままで研究をしたい人もいるわけで、そういう人は、研究者として就職するのに得策でないようなテーマでも研究できるわけですし、逆に就職しようと思ったら、研究内容も自己規制せざるをえない場合もありますよね。

…中略…

研究の中身の良し悪しは、研究者として食い扶持を得ているかどうかで決まるわけではないでしょうから、指導内容について「指導する側もある程度区別」されるようなことがあるとしたら、なぁんだかなぁ、という感じがします。

 私の知人に企業の研究所で研究をやっている人がいる。彼らが悩んでいることは、自分のやりたいテーマと企業の仕事としてやるべきテーマがずれている場合が少なくないことだ、と言う。しかし、そのずれにどう折り合いをつけていくかということに対しても面白さを見出すことができるだろうし、かえって「何でも自分の興味のあることをテーマにしていいよ」と言われると途方に暮れてしまうということだってある。

 職としての研究と趣味としての研究については、私も本質的な違いはないと思う。あるとすれば研究を始める前のニーズ分析の段階だろうが、ニーズにしたところで数年のスパンのニーズと百年単位のニーズとは自然と違ったものになる。

 正確な書名は後で調べるが「The art and craft of research」という本があって、それには研究者としてやっていくためにはどういうことが必要かということが書かれている。その第一番目の条件、これは著者もランク以上の破格の扱いをしているのだが、何だと思いますか?

  • Honesty

「正直」ということ。これがなければ研究はできないし、むしろ、やってはならない、正直であることを自分に保証できないものは研究者になるべきではない、とまで著者は言っているんですね。これを考えるとむしろ趣味としての研究者の方が正直になれるのではないかと。そういう人たちにはウソをつかなければならないようなプレッシャーがどこにもないですから。