KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

七回忌

 父の七回忌のために東京の実家に来ている。もうそんなにたつのかという感じだ。

 私がJICA(国際協力事業団)の一年間の仕事でタイ王国のへんぴな田舎に住んでいるときに、父は危篤になった。もうガンということはわかっていたのでびっくりすることはなかった。むしろ、それが理由で日本に一時帰国できたことが、父の私へのプレゼントのような気がした。通常、JICAの派遣では1年以内の仕事に関してはよほどの理由がない限り、一時帰国は認められない。よほどの理由というのは肉親の危篤のような場合である。

 あれはやはり父のプレゼントだったのだろう。タイでの仕事は面白かったが、日本の情報から隔離された単調な生活がつらくなっていた時期だった。ある土地を旅行するということと、そこに住むということとは全く違うことだ。そんなことに気がつき始めていた頃だった。

 日本に一時帰国して、父に付き添ったが、お互いにあまり話すことはなかった。もう人生の最期だという時期にはいれば、人は、自分の過去を振り返って何か話しておきたいと思う事柄が出てくるものではないか。しかし、父が話すことはなかった。ただ、私が病室の廊下の椅子で本を読んでいると、「中にはいっていてくれ」と要求された。それで私は病室内の簡易ベッドに腰掛けて本を読んでいた。特に話すことはなかった。私がそこにいるというだけで満足だったのだろうか。

 父の容態も安定してきたので、妻とともに妻の実家の富山に顔を出すことにした。妻の実家にとっても久しぶりに娘の元気な顔を見られたことでうれしかっただろう。富山でひとときを過ごし、東京に戻る途中の新幹線の駅からかけた電話で父の死を知った。父の最期には母が付き添っていたが、私はそこにはいなかった。なんだか最後まで、寡黙な父であった。