KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

脳味噌が飛んでいく生活

 東京での最後の仕事も終えて、富山に戻る。私の実家は東京の下町だが、お正月に帰省するという習慣がない。仕事で一年に何回も東京の実家に戻ってきているからだ。実家には母親一人が暮らしているが、正月には妹とその子供四人が来るので寂しいことはないだろう。というわけで正月は富山でのんびり過ごす。

 母親に「東京に戻って来て欲しい?」と聞くと、無理はしないでいい、と答える。私はどこからか仕事のお呼びがかかれば東京に戻るのに躊躇はない。そして、お呼びがかかるうちが華である。おそらく私の人生は誰かすごい人のお手伝いをする人生であると考えている。だからそのすごい人から呼ばれればその通りにするだろう。それまでは一種の修行の身であると思っている。

 そんなことをぼんやりと思いながら、富山での暮らしも9年目に入った。富山は暮らしやすいところだ。これほど暮らしやすいところもないだろう。住めば都、というけれども、30年間暮らした東京と9年目の富山とを比べてみれば、明らかに富山の方が暮らしやすい。物理的な住環境以外の要因としては、その土地にどういう仲間がいるかということが大きい。しかし私の場合、ネットによるつながりが強いので、都会にいようと田舎にいようと、どこにいてもあまり変わらないのである。

 とすれば、身体は暮らしやすい田舎に置いておき、脳味噌はネットワークを通じて全国どこへでも飛んでいくような生活、それが自分にあっている生活なのかな、などと考える。