KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

playful work

教えたいのは「楽しさ」と「楽しみ方」、ということかしら。

  • 「あかねの日記」(99/01/08)より

 そう、そういうことです。でもそれこそが現代の教育デザイナーの課題なんだよなぁ。難しいです。でも手探り状態というわけではないです。だいたい目鼻は付いているのですが、それを実践に移すのが難しいということです。その目鼻について、最近読んだ雑誌論文から一部を紹介(翻案した部分もあります)。

Lloyd P. Lieber et al. The value of serious play.
Educational Technology, Nov/Dec. 1998

 遊びをしているときは、それが楽しくて、自分で進んでやる。それは子供でも大人でも同じだ。学習活動を、あたかも遊びをしているときのようにできないか、というのが教育にかかわっている人たちの夢である。なぜなら、遊びをしているときは楽しくて、時がたつのを忘れるほど熱中し(エンゲージされ)、しかもその時に多くのことを深く学ぶからだ。

 Blanchardは人間の活動について次のような4分類を提案している。横軸に「仕事--レジャー」軸をとる。それは外的な目標(報酬)によるものか、内的な目標(そのもののためにやる)によるものかということだ。縦軸には「遊び--非遊び(not-play)」軸をとる。それは楽しみか、楽しみじゃないかということだ。二つの軸で仕切られた四つの領域の活動はこうなる。まず「遊び・仕事」領域は「遊びに満ちた仕事(playful work)」ということで幸福な活動。楽しんでやって、しかも報酬も得られるというケース。二番目の「遊び・レジャー」領域は趣味の活動である。たとえばガーデニングや読書やサイクリングなど。三番目の「非遊び・仕事」領域は、報酬を得るためにいやいややっている仕事。最後の「非遊び・レジャー」領域はその時点では楽しいとはいえない暇つぶしである。たとえばテレビの前で何か面白い番組はないかと探しているようなこと。

 この枠組みを使っていえば、学習活動をplayful workにしたいのである。経験のある教師は、カリキュラムの中にうまく遊びを取り入れている。たとえばSimCityを使って、社会科の勉強をすることなど。もちろんこの実践には、従来の教え方の解体と再構築が必要だし、準備にも時間がかかる。

 心理学は外発的動機づけ(報酬や罰)と内発的動機づけ(そのものが楽しい)という二つの概念を提案しているが、日常場面ではこれら二つは入り組んでいる。たとえば来週迫った試験のために勉強しているのだが、やっていくうちに内容そのものが面白くなってしまった、など。教育者の課題は、動機づけと学習とをいかにうまく「結婚」させるかということだ。

 このあと、ポイントは、学習プロセスの所有感覚(ownership)や、自己統制感(self-regulation)にあること、また、ゲームで遊ぶことと共に「ゲームをデザインする」ことが学習を深める(learning by designing)ことなどが展開されていますが、長くなるので省略。serious play --- 示唆に富むアイデアです。

 こうして考えると、研究をしたり、論文を書いたりすることは、serious play あるいは playful work に近いものがあるのでしょうかね。