KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「やる気のある人は精鋭クラス、そうでない人は」

 九州大学(福岡市)で外国語教育を担う言語文化部は、新一年生から「やる気」「能力」別のクラス編成を導入した。英語を中心に、深く学びたい学生向けには少数精鋭クラスを、それなりで済ませたい学生向けには「それなり」の大人数クラスを用意し、学生が選べる。異例の改革に踏み切った背景には、講義中におしゃべりをするような学生が増え、「授業崩壊」の兆しが同大学でも現れ始めたことへの危機感があるという。

 ああそうか、こういう手があったか。どうして今まで気がつかなかったのだろう。精鋭クラスとそれなりクラスの併設はコロンブスの卵的アイデアだ。

 勉強をする子はますます勉強をし、しない子はますますしなくなるという傾向が初等・中等教育で明らかになっているのだから、大学にもその傾向がやってくることになる。だから「授業で私語がひどくてね」などと嘆き、やる気のない学生に注目するあまり授業のレベルを下げるよりも、精鋭クラスを作ってやる気のある学生をどんどん鍛えればよいのだ。特に大学では授業を開講する自由度が高いのだから、先生がその気になれば簡単にできるはずだ。

 たとえば私のいる教育情報システムコースで考えれば、

  • 教育機関のネットワーク管理の上級クラス
  • コンピュータを利用した教材開発の上級クラス
  • 教育評価やその統計分析の上級クラス

 などが考えられる。こうしたことは研究室に所属する三年生以降に徒弟制的なシステムで先輩が後輩に教えられてきた。しかし、これは体系的ではないし、ともすればその場しのぎ的な技能にとどまる危険性が高い。やる気のある学生だけを集めて上級クラスを作れば、システム的にうまくいくのではないか。

 ちなみに私が大学生、院生だった頃は、こうした上級コース的なものは、有志が集まってプライベートに開かれる「研究会」が担っていた。研究会では普通の授業からはとても学べないような高度な勉強が自発的になされていた。こうした研究会は、しかし、大学院生が豊富に(余って)いるような大学でしかできないような気がする。少なくとも今私がいるところでは皆無だ。

 大人数のクラスを「それなり」と表現すると、理想主義者の反発を買うことだろう。「それなり」にはネガティブな意味合いがあるからだ。しかし、「それなり」には「そこそこ、まあまあ」というポジティブな面もある。大人数クラスを積極的に「それなり」に運営すること、つまり6割方の受講生が「出て良かった」と思うような授業をすることは至難の業である。今年から200人の授業をしていて、それを痛感している。