KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

司会者は「裏」に徹すべし

 神戸に2泊して、東海道新幹線で東京に回り、2泊。今日、上越新幹線経由で富山に戻ってきた。表日本は新幹線のおかげで速いが、距離がある。運賃を払って実感する。日本の地形は弓のようにたわんでいるのだから、新幹線を裏日本側に通せば、速くて運賃の安い鉄道網ができるのではないだろうか、と思う。まあ、こちらは地形的に難所が多いのが欠点だが。

 「裏日本」というのは語感がよくないので、使うのを控えようという動きがあるのだけれど、僕は好きだ。「裏」には表にないしたたかさと、正直さがあるような気がする。「裏日記」にも面白いのが多いと聞く。

 教育心理学会でいくつかのシンポジウムを聞いたが、良い司会者と悪い司会者の差は歴然としている。司会者がしゃしゃりでて、とうとうとしゃべるような場合は「ひっこめ。おまえの話を聞きに来たのではない」と叫びたくなる。司会者は、控えめに、しかし、毅然としてタイムキーパーに徹するべきだ。

 ある司会者は「時間が来たので始めます」といって定刻に始めた。それは良い。しかし、その後10分以上しゃべった。しゃべりすぎだ。しかも「遅れて来る人もいるでしょうから、その<時間稼ぎ>に」といってくだらないことをしゃべったのだ。それでは、定刻前に集合している大部分の聴衆の立場はどうなるのだ。ばかにしているではないか。もちろん<時間稼ぎ>というのは、自分の話を謙遜して言っているのだ。そんなことは日本人ならわかる。その性癖をわかった上でなお聴衆をばかにしていることに気づかない。やはり一言、言ってやるべきだったか。

 そして、時間がおしているとさんざんいいながら、この司会者は休憩時間を10分もとったのだ。そして、そのために、メインの話題提供者の時間が削られた。しかし、その中にいた、司会者と顔見知りの話題提供者は、持ち時間が過ぎても「あと少しだけいいですか」と司会者に言いながら、かなりの時間をオーバーした。司会者は何もとがめなかった。双方とも失格である。退場ものである。

 私が一番頭に来たのは、以上のようなことが積み重なって、質問の時間がなくなってしまったことなのだ。良いシンポジウムであればあるほど、話題提供のあとの質疑応答がスリリングであることは経験済みだ。それが、司会者のくだらないイントロと、不必要な休憩時間と、顔見知りの発表者の横暴を止められなかったことにより、質問時間がなくなった。最悪であった。

 司会者は名誉職ではない。「裏」に徹するべきなのだ。