KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

人は自分の誤った信念を育て続ける

 医者にかかったおかげか、薬のせいか、喉の方は徐々によくなりつつある。こういうことを言うと、妻はすぐに「だから早く医者に行けばいいのに」と私を諭す。実際、私は病気になっても、かなりひどくなってからでないと病院には行かない。病気が軽いうちに行って、「なんともありませんよ」などと医者に言われたら、なんか恥ずかしいような気がするからだ。これって変?

 医者からもらった薬を飲んで、それがよく効いたとする。妻は当然、「だからもっと早く医者に行けばよかったのに。もっと早くいけばもっと早く治ったはずなのに」と考える。しかし、私は「ここまで自力で直そうとしてがんばったからこそ、医者にもらった薬がよく効いたのだ」と考える。つまり、妻の信念と私の信念とはまったく違っているのに、同じ現象をそれぞれに都合よく解釈して、それぞれの信念を強めるわけだ。

 自分の信念を維持するように、人は世界の出来事を解釈する。信念を壊すような現実は「例外」として思考から排除する。このようにして、人は自分の信念を育て続けるのだ。たとえそれが間違っていようとも。

 とすれば、誤った信念を変える方法はないのだろうか。ある。それは、ひとつには「自分の信念が間違っている可能性があることを認めること」だ。もうひとつは、「自分の信念が正しいかどうかを実験する勇気を持つこと」だ。上の例の「病気の信念」について言えば、「早めに医者にかかった場合は、本当に病気が早く治るのかどうか」ということを実験すればいい。

 つまるところ、この実験心こそが誤った信念から脱出するための一番効果的な仕掛けなんだろう。