KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

英語が優位なのは「仕方がない」

冬のボーナスの額が通知された。支給はもう少し先。去年の冬のボーナスでは、前年よりも10万円ほど下がったことにショックを受けていた(99/12/11)。しかし、今年のボーナスは上がったぞ。2000円ほど(涙)。

文部省が出している『教育と情報』という雑誌に米田正人さんが「国際社会の英語・日本語」という記事を書いている(2000年9月号, No.510, pp.2-7)。

これは、1997-98年に行われた「日本語観国際センサス」の結果の一部を発表したもの。この調査は世界各国できちんとサンプリングされたデータを収集しているので信頼できそうだ。その結果の一部が報告されているが、面白い。

「今後世界のコミュニケーションで必要となる言語」という質問では、予想通り各国で圧倒的に英語が一位(例外的にポルトガルだけポルトガル語が一位)だ。注目されるのは、日本語が比較的重視されていることだ。アメリカではスペイン語に続き、日本語が3位に入っているし、オーストラリアでは日本語が2位に入っている(アジア太平洋地域ということだろうか)。また、韓国でも3位にはいっている。これを見ると、日本語も捨てたものではない(もちろん捨てないが)、けっこう重要視されているのだなということが確認できる。まあ、その背景には経済力ということがあるのだろうが。

「世界で英語が優位であることに対する賛否・意見」という質問では、日本での結果が、「よいことだ」が35%、「よいとは思わないが仕方がない」が56%、「他のことばが使われるべきだ」が5%となっている。「よいことだ」と思う人よりも「よいとは思わないが仕方がない」と思っている人の割合が高い。これは、つまり「仕方ない」ということで半分あきらめているという人が半数以上いるということだ。同時に「英語が優位である」という現実を無条件によいことだと思っている人はそれほど多くないということも示している。この数字は日常的な感覚に近いような気がする。

「英語第2公用語論」は外交などの戦略的な人材を育てるという意味ではまあいいだろうけど、けっして国民的な動きにはならないだろうし、またそれを国民的な運動にしようとすることも必ず失敗するだろう。それはこのデータが示している通りだ。現時点での英語の優位性について、人々は「仕方がない」というレベルで認めているに過ぎないからだ。