KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

はこだて未来大学の設計思想と教育工学

東京に来たとき、すでに風邪気味だった。それから、風邪の症状が進行したような気がする。まず鼻水がでるようになった。30分に一度は鼻をかまないと気持ち悪い。喉は痛くはないが、痰がからんでいる。すみません、きたない話で。最後に、咳はひどくはないが、30分に一回くらいは出る。ああ、早く直って欲しい。明日から、静岡大学を訪ねるのに、鼻声では申し訳ないな。

科研費の会議に出る。ポストモダン時代の教育工学研究のあり方を考えるというテーマで10人以上の研究者が集まる。

はこだて未来大学の設計思想と具体的な紹介は面白かった。

カリキュラムは「はじめに学問領域ありき」ではなくて、たとえば「知的なロボットを作ろう」というような具体的・実践的な課題テーマがある。それに取り組みつつ、その基礎学問、たとえば人工知能とか認知科学のような勉強をしていくというデザイン。その成果は、テストで測られるのではなく、プレゼンテーションとポートフォリオによる。これは小学校の「総合学習」のデザインと同型としてとらえることもできる。

教員の研究室はガラス張りで、その前には学生が自由に作業できるオープンスタジオが設けられている。これは正統的周辺参加論を意識していて、教員と学生がお互いに見たり、見られたりしている。また、スタジオには仕切がなく、何か面白そうなことをやっているグループに、見習いとして参入していくようなことができるようになっている。参加者を呼びかけるようなデモンストレーションもしやすい形になっている。

一見して、ああ、これはいいデザインだなと直観する。実際にどういう学生が生まれていくのかを見たいと思う。広く浅く学ぶというよりも、経験の質、深さを重視している。何か具体的な課題にぶつかったときに人は最もよく学ぶという理論を背景に持っている。現代における学問が、個別に成立しうるものではなく、互いに影響を与えあい、複数の領域が力を合わせなければ解決できない問題が出現している(たとえば環境問題など)ということに対応する人間を作るという意味でも期待できるのではないか。

そうすると、これまでの「モダンな」教育工学とどういう連携が取れるかということが焦点になる。モダンな教育工学が問題としてきた教授効果の大きさや効率の良さは、もはやここでは問題になっていない。4年間かけて、ずっとロボットを作っていてもいいのだから。

私は、こういう状況においてこそ、モダンな教育工学が目指した効率の良い教授法といった成果が必要になってくると考えている。

つまり課題中心の学習システムでは、目の前にあるまさに解決したい問題を解くために、基礎知識や基礎技能が必要になってくる。そして、それはできるだけ効率よく、短い時間で身に付けたいのである。なぜなら、複雑で大きな問題を解決するためには、他にもたくさん身に付けなければならない知識と技能が山積しているからだ。もちろんそれは表面的な理解ではだめである。それは当面の問題を解決するかもしれないけれども、後で暗礁に乗り上げる可能性があるからだ。したがって、課題を解決する糸口となる基礎学問を、深くしかも速く消化することが必要になる。それなしでは、課題は何年かかっても根本的な解決には至らない。

複雑な現実の問題を解決するためには、基礎学問を深く、速く身に付けることが必須である。ここにモダンな教育工学の存在理由がある。逆に、過激にいえば、それ以外にはもはや存在理由がないのかもしれないのだが。