KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

静岡大学で授業改善についての講演をする

静岡大学で開かれた授業改善ワークショップに講師として招かれた。このワークショップは学生による授業アンケートの回答の中に、「授業に魅力がない」という不満が多かったことを受けて企画されたそうだ。

参加者は静岡キャンパスでは30人くらい、浜松キャンパスでは50人くらい。このシンポジウムは今回で3回目になる。プロジェクトを企画運営しているのは、ボランティアの先生方で、学長裁量経費で予算を獲得している。学長自身もこのシンポジウムに参加していて、積極的であった。学長裁量経費をこのような形で利用するのは有効な使い方だと感じた。

FD関係の集会でこれくらいの人数が自発的に集まったということは、かなり優秀な方なのではないだろうか。将来的には、大学教員の「教育業績」をどう評価していくかという問題が出てくると思うが、当面は自発的に問題意識を持っている教員が中心になって、運動を進めていくしかない。たとえば、教育業績の中のひとつにFD研修会に参加することを組み入れることもなされていくだろう。そういうことを義務づけるのはどうかという意見も出てくるだろうが、こういった機会に参加すれば、なにがしか得ることはある。それを自分の授業の中で工夫していくということも行われていくことだろう。そうした小さなことが積み重ねられて、大学の授業が徐々に改善されていくことだろう。

私は、月曜日は静岡キャンパスで、火曜日は浜松キャンパスで話をした。内容は、授業の工夫の紹介として、PSI授業、質問書方式、それからネットワークを利用した作文の授業である。同じ内容だが、二日目は「前置きなしに始める」というスローガンを実行した。つまり、いきなり授業の紹介から入った。そうすると、前置き(能書き)の時間分だけあまりそうな気がするけれども、そうはならないのである。つまり、「話をすると時間がある分だけ延びる」という法則がある。二日間続けて同じ話をするという体験はめったにないけれども、二回聞いた人の印象によると、内容はずいぶん違ったものになったととらえられているようだ。これは「前置きなしに始める」の効果だろうか。

講演に引き続いて、実際の授業をビデオ撮影したものをみんなで見て批評を加えるという試みもあった。これは新鮮な体験だった。他の先生の授業を見るという機会はなかなかない。

質疑応答も活発だった。とりわけ浜松キャンパスでは、学生からの発言もあった。それは「大学の先生はいったいどれくらいの時間を授業の予習や準備にあてているのか。私が見るところ、あまり準備をしないで授業に望んでいる先生がいる」という、手厳しいものであった。

静岡キャンパスでの質問と回答を書き留めておこう。

Q. PSI方式では、先生の顔が記憶に残らないのではないか。先生が一生懸命に説明するから、そのことが学生のやる気を高めるような気がする。PSIでは、先生が頑張っている様子がまったく学生に伝わらないのではないか。

A. まさにその通りで、教材を作っているときがいちばん大変なのだが、それは学生に見られることがない。しかし、私は、先生の顔が記憶に残ることよりも、授業の内容が学生の頭に残ることの方が大切だと考えている。

Q. 言語表現科目でさまざまな教員が担当している授業の内容の共通性を取るためにはどうすればよいか。

A. 専任教官を置くことである。その人がコアとなって内容の共通化を図っていくのがいいのではないか。

Q. 作文を学生同士で読み合わせた場合、お互いの文章を批判することをしない。どうすればよいか。

A. いまの大学生は優しくなっているので、あからさまな批判、批評をすることを嫌う。先生が率先して、「ここをこう直したら、こんなふうに良くなったでしょ。こういう批判を期待しているのだよ」ということを示すことが効果的なのではないか。

Q. 学力の低い学生を底上げしていくためにはどうしたらいいか。

A. 底上げのためにはPSIのような方法が有効だと考えている。

浜松キャンパスでの質問と回答。

Q. 質問書を書かせるのにパソコンを使わないのはなぜか。手書きとパソコンとでは何か変化があるか。

A. 100人以上の大規模クラスでは、手書きで書いてもらっている。それは単純にその場でパソコンが使えないことによる。パソコンのある教室でやっている授業については、電子メールで質問書を送ってもらう場合もある。しかし、手書きと電子メールとでは、雰囲気がかなり違う。手書きの方がその人の思い入れがよりよく伝わるような気がする。手書きだと、文章だけでなくイラスト付きのこともある。

Q. PSI方式の授業で雇っているプロクターへの謝金はどうやって出しているのか。

A. TAに対する補助金も出されているが、足りないのであてにしていない。CD教材を受講生に千円で買ってもらい、そのお金をプロクターに謝金として出している。プロクターの仕事として依頼している以上まったくタダでやってもらうわけにはいかない。謝金を出すことによって仕事への責任感も生まれてくる。

Q. 質問書を書かせようとすると、「質問がどうしても思いつかない」という学生がいる。どうしたらいいか。

A. 私の受け持っているクラスでも何人かは「質問が思いつかない」ということで苦しむ学生がいる。そういう学生に対しては、「先生の言うことでも、どこかにインチキやウソやでまかせが必ずあるはずだ。そう思って話を聞けばいくらでも質問はでてくるはず」ということを話して聞かせている。しかし、それでも質問できない学生はいる。質問するという行動もまた、訓練されなければならないということだ。これを訓練だと思って質問を書いて欲しい。

Q. 言語表現の授業で、NHKの人や新聞社の人に依頼している場合の謝金はどうしているか。

A. これは教養教育の予算の中から非常勤講師として支出している。

Q. 独学できるようなテキストが必要だということを言っていたが、独学で学ばせるには意欲の低い学生が多いような気がする。また、独学教材に慣れてしまうと、そういったわかりやすいていねいな教材でないと学生が勉強しなくなるのではないか。

A. 大学生であるとはいっても、未知の学問を学んでいくためには、ステップバイステップで、最もハードルの低いところからクリアしていくことが必要だ。崖から突き落とすようなやり方もあるけれども、それが適用できるのは現在では例外的な学生だけであることを知っておくべきだ。すべての学問レベルでわかりやすいていねいなテキストが作られるべきであるとは言えないが、少なくとも学問の基礎をなすような部分ではそうした教材が必要とされているのは確かだ。

Q. 統計学を普通の授業からPSI方式に変更したら、合格率が6-7割だったのが、どれくらいに上がったのか。

A. PSI方式にすると9割以上の学生が合格するようになった。それは全員がAである。完全学習を指向するPSI方式としては、普通のことだ。しかし、GPA制度のような相対評価が大学に導入されるようになったときにどうなるかはまた問題になってくるだろう。

Q. TAやプロクターに対して、その人が専門的過ぎて聞きにくい、敷居が高いということがよくある。どうしたらよいか。

A. 現状ではTAを指名するのに、ただその人が専門的知識を持っているからということでなされている。そういう人たちに対して、「初心者に対してどのように教えるか、伝えるか」というコミュニケーション・スキルを訓練しておく必要がある。それは、その人たちにとっても非常に有益なスキルになると思う。